七里川渓谷を水没から守りましょう
岩田好宏
1998年4月19日の日曜日、小櫃川の上流の一つ、七里川を歩きました。木々によって一つ一つ色合いのちがう新緑とヤマザクラの淡い桃色に包まれた渓谷を歩きました。滑床とよばれている清澄層などの砂泥互層を水流が削ってつくった広い平らな川底を、じゃぶじゃぶと水音を立てながら歩きました。私は、1997年12月23日にもここを訪れ、雨の中を歩きました。自然愛好家で優れた自然誌家であり、私の尊敬する古くからの友人でもあるT氏に案内をしていただいて、歩きました。かすかな音をたって静かに流れる水の中を歩きました。冬の渓谷は、なんともおだやかで落ち着いていて、むしろあたたかさを感じました。春の渓谷は、それとはちがう、なんともはれやかな景観でした。
100人をこえる人たちがこの渓谷の自然を楽しむのに参加しました。千葉県自然保護連合と「小櫃川の水を守る会」が主催したのですが、勤労者山岳連盟や小櫃川干潟祭実行委員会、三番瀬保全団体の人たち、千葉県野鳥の会、千葉の干潟を守る会、日本野鳥の会千葉支部、千葉県生物学会など、たくさんの団体も加わりました。どれだけ多くの人が、この渓谷を愛しているかがわかりました。
七里川渓谷は、見上げると、イロハカエデ、ケヤキ、フサザクラなどの渓谷特有の急斜面の崖地にみられる植生のほか、コナラ、クリなどの落葉樹が混じり、その背景にはモミ、ウラジロガシ、アラカシなどの常緑の木々が見えました。ずっとかなたをみますと、山腹から尾根筋にかけて、スギやヒノキの植林地があります。放置された河辺の畑あとにはマダケがみえ、それより低い位置にはキブシやニシキウツギなどの低木の薮がありました。川沿いには、七里川温泉、白岩館などの旅人を迎える宿もあります。そこは、養老水系の黒滝や梅が瀬渓谷に匹敵する渓谷美と貴重な自然環境がみられるところです。
このすばらしい景観が水没するのではないかということを知りました。千葉県は、ここに追原(おっぱら)ダムを建設することを20年以上も前から計画していて、今、計画を実施に移すかどうかの判断を下す段階にあるところです。千葉日報の記事では、房総の自然を長く調査されている藤平量郎さんが、この地域の渓谷特有の植生と景観が失われることを心配していました。千葉大学の大沢雅彦教授は、それに加えて、下流域の景観の変化を心配しています。土砂の供給が大きく減少して、河口域の干潟や塩湿地植生の破壊の心配があります。
「千葉県矢那川・片倉ダム建設事務所」が発行したパンフレットによりますと、ダム建設の目的は、洪水防止と君津広域水道企業団の水源に利用する、とあります。堤防の高さは46.0メートル、毎秒750立方メートルの水量がこのダムを通過すると135立方メートルとなり、毎秒615立方メートルが貯まることになり、総貯水容量は744万立方メートルになると書かれています。しかし、小櫃川水系では、ここ20年近く洪水にみまわれたことはなく、水道用水源も、下流域に開発があっても追原ダムなしでも十分まかなわれると言われています。そうしますと、ダム建設の意味はなく、貴重な自然が破壊されるだけということになります。高額の税金を使って、なぜそのような無駄なことをしなければならないのでしょうか、理解に苦しみます。
私は、その後、千葉県生物学会の七里川自然調査会にも参加し、三たび渓谷に訪れることができましたが、もっとも感激したのは、これほどに親密に流れる水と触れ合うことがこれまでどれだけあっただろうかということでした。長野県の上田市で日本生態学会の全国大会が開催された時、友人のH氏と千曲川で遊びましたが、いまでも忘れられません。多摩川や荒川の上流に行った時も楽しいものでした。高知県と徳島県の県境の渓流に高校生と一緒に生物調査に行った時も、楽しい川遊びができました。しかし、その時以上の大きな感動が七里川で湧いてきました。それはなぜだろうと考えていくうちに、一つのことにつきあたりました。それは、滑床にあると思いました。平らな広い川床、水深が浅く、水は静かに流れています。すべってころんだとしても衣服が濡れる程度で、生命に異常がおこることはありません。子どもも年寄りも安心して流れ水の中に足を入れることができる。肌で流れとその清らかさ、冷たさを感じることができることではないかと思いました。
8月になって小櫃川はアユの友釣りが解禁になりましたが、早速、友釣りで獲物を得た御簾納さんの楽しそうな話振りは、やはり滑床に理由があると思いました。ダムになれば釣りの楽しみも半減します。ダムになれば、誰かが必ずブラックバスかブルーギルを放流するにちがいありません。そうすれば、水系の魚相は途端に貧弱なものになります。なによりもダム化そのものが水系の動物相をまずしいものにし、人を遠ざけてしまうといってよいと思います。七里川渓谷の自然をどうしても残さねばならない。自然にとっても人にとっても。
千葉県生物学会の調査会のあと、地域の人たちが開いていた直売場に寄って、山菜・野菜を買って帰りました。その時、この人たちと一緒に七里川の自然を残すことができないだろうかと思いました。たぶん、地域の人たちは、七里川の自然の良さをよく知っているのではないか。きっと誇りに思っているのではなかろうか。この人たちがこの地域で自立して生活するための地域のつくりかえと自然を残すことを組み合わせることができないだろうかと考えました。
(1998年10月)
★関連ページ
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