★七里川渓谷と追原ダム計画


 七里川渓谷豊かな自然感動

追原を歩く会事務局長  北澤真理子(文・写真)





「小櫃川源流域の自然を守り育む連絡会」は、七里川渓谷を守るため、
3月7日に写真展に向けた撮影会、4月4日に自然観察会を開きました。
以下は、追原を歩く会事務局長の北澤真理子さんの報告です。





写真撮影会  (1999年3月7日)


 冷たい春雨の中、芽吹き前の明るい七里川渓谷の撮影会が行なわれました。
 まず、七里川温泉の下の川廻しのあとまで降りました。鹿の踏み荒らした土手を下り、竹藪の中を通って行くので、ヒルや藪が深くなることなどから、冬の間しか行けないところです。
 谷は静かに水を湛え、淀みにはメダカのようなハヤの子が群れをなして泳いでいました。水生昆虫たちもしっかりと石の下で育っています。
 上流に小さな農業用ダムがあるというので、「追原を歩く会」の鵜沢さんの案内で移動する途中、小さな水路にしじみの貝穀を発見。写真を撮るよりも山のしじみ採りにみんな夢中になってしまい、時の経つのも忘れました。
 しじみは茶色くて大振りで、昔は山の人たちのご馳走だったに違いありません。ダムの近くに山の神のほこらがありました。ダムは80%くらい埋まってしまっていました。泥岩なのですぐに用を為さなくなるのです。しかし魚はこの小さなダムを登れません。生態系は分断されてしまっているのです。
 昼食は七里川にかかる吊橋の上で。追原、七里川に寄せる思いを自己紹介とともに話し合いました。それから大楓に会いに追原に行きました。屋敷跡の石垣の苔が真緑にあざやかで、芽吹きの時は苔類にとっても命あふれる季節なのだと知りました。「連絡会」の佐野会長から、このあたりの歴史を教えていただきました。佐野先生は傍にあるお墓の文字を丹念に判読、江戸時代、川越藩の領地だったころに薪炭産業で栄えたであろうと話されました。しかし、久留里の町の半分の値段でしか引き取ってもちえず、しかも自分で炭を持ち出すことはご法度だったそうです。隔離、管理された中での山の人々のくらしだったようです。「歴史に光を当てられなかった人々」の願いに応えたいと、鵜沢さんがよく言っていますが、長い歴史があったのを知りました。
 雨が本降りになる中、吊橋まで戻って佐野先生にお話を伺っているとき、谷の上に鳩ほどの大きさの白い鳥が飛んで来ました。しかも二羽。ヤマセミです。頭に羽毛の冠もちゃんとつけています。谷の真ん中で、一羽がもう一羽に給餌しているようでした。ヤマセミは3月の中頃が結婚の時期で、成立するとオスがメスに魚をプレゼントするのだそうです。みんな興奮して行方を眼で追いました。近くにヤマセミの愛の巣がありそうです。
 撮影会だけでなく、収穫の多い中身の濃い一日になりました。




しじみ採集

しじみ採集




イトトンボの幼虫の撮影

イトトンボの幼虫の撮影







自然観察会  (1999年4月4日)


 フサザクラの咲く4月4日、自然観察会がおこなわれました。
 10時30分、JR久留里線上総亀山駅前に集合、七里川温泉の先から周囲の景観や野草を観察しながら歩きはじめました。
 まず江戸時代の新田開発の方法のひとつ、川廻しのあとを県道より俯瞰。開墾して田んぼを作るより、川の流れを変えてそのあとに稲を植えたという昔の人の知恵に感心しました。
 川沿いの道には、すみれ、やまるりそう、りんどう、にりんそうなど、かわいい春の花がきそって咲いていて、見とれて立ち止まったり急いだりの長い列になりました。橋の木の花や薮椿も満開です。
 途中、猿の糞を見つけました。けものグループの先生によれば、2、3日前のものらしいとのことです。注意して見ると、車の通る県道の脇に鹿や猿や猪などの糞がいくつも落ちています。けものの先生は、糞の状態から動物たちの食生活、群れの大きさ、健康状態をチェックしていきます。
 歩いていくうちにフサザクラの群落が見えて来ました。植物の先生が、房総丘陵の複雑な地形によって、冷温帯性のフサザクラが地すべりした不安定な所に生えて暖温帯性の植物に排除されずに生き残っているという説明をしてくれました。満開を過ぎていましたが、暗紅色の花は本当に美しく珍しいものでした。
 お昼は七里川の河原におりて食べました。地質の先生から、眼の前の崖の褶曲した地層の説明を受けました。砂泥互層がダイナミックに曲がっています。この谷の上に追原があり、クマシデやヒメコマツが生え、第三期の房総の生成時代につながる山地系の希少植物が分布しているのです。
 つり橋を渡り追原への道を辿ります。野すみれの群落が水のしたたる崖に咲いています。七里川から小櫃川となり、やがて東京湾に注ぐ一滴です。雑木林の中にはマメザクラが小さな花をいっぱいにつけています。キブシの長い黄色い花も満開です。タラの芽、日だまりにはワラビも5センチくらいに伸びていました。炭焼き窯の跡の杉の倒木に、春のキノコがたくさん生えて小さな世界を作っていました。
 追原の屋敷跡の竹藪は、猪の真新しい足跡がいっぱいです。『追原は人とけものの入り合い地』そんな標語が浮かんで来ました。大楓は、いつものようにひっそりと立っていました。新しい小さな葉をたくさんつけて今年も森の生きものたちを守りながら、人の入らない夏を過ごすのです。
 「大楓に会えてよかった」「ここまで来てよかった」みんな言葉少なに小さく感動を語りあいました。




七里川温泉と川廻しの跡

七里川温泉と川廻しの跡(手前)




マメザクラ

マメザクラ




キブシ

キブシ




榧の花と山つばき

榧(かや)の花と山つばき








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