追原ダム建設中止へ

〜県公共事業評価監視委員会が中止判断〜


小櫃川源流域の自然を守り育む連絡会 事務局長 御簾納照雄



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●建設中止は良識ある判断

 (2000年)9月21日に開催された千葉県土木部・都市部所管の国庫補助事業評価監視委員会(黒坂正則委員長)は、小櫃川源流部(君津市と一部天津小湊町)に計画している追原ダム建設(総事業費 260億円)について「中止が妥当」と判断しました。
 追原ダムは、既設の亀山ダムと今春完成した片倉ダムととも、小櫃川流域の治水と君津広域水道企業団の水道水としての利水目的から計画されたものです。それは、1975年(昭和50年)から1994年(平成6年)まで、20年の歳月をかけて調査を実施し、1995年(平成7年)に事業採択されたもので、その後、さらに各種調査、設計、地元説明会、関係機関との協議などが実施されてきました。それらに要した費用は11億9000万円と莫大なものです。
 しかし今回の判断は、25年前の2000年予測に大きな社会変動が加わり、無理・矛盾の中で計画を押し進めようとする県行政に大きな歯止めとなりました。
 事業評価監視委員会は、すでに昨年8月、「今後2年程度の水需要の調査結果を待って再検討すべき」との意見を出していましたが、与党が中止を勧告した建設省所管の「採択5年以上経過して未着工」の 102件の中に入っていることから、建設省・運輸省からの開催要請を踏まえ、早期に結論を出したものです。
 建設中止の判断は「水需要が見込めない」ことを主な理由としていますが、治水について「今後総合的に検討し、河川整備計画を策定すること」との意見を付しており当を得た良識ある判断といえます。


●現在の人口はダム計画時の半分

 1975年頃の2000年人口推計は、君津、木更津、富津、袖ケ浦の4市合計で65万人でした。しかしその後、下方修正を繰り返し、2000年1月現在、32万7000人余りで大きな期待はできません。各市の人口推計そのものが、さしたる根拠もなく「希望的予測」に過ぎない(某市都市部主幹の言)ものであることから、今後の人口推計についても熟慮を要します。
 東京湾アクアラインの効果や、かずさアカデミアパークへの企業進出も見込めず、既設の亀山ダムだけで事たりているのが実状です。しかも、今春完成した片倉ダム(事情があってまだ水をためられないとのこと)もあります。
 数年前に比較して企業団水の供給量が増加していますが、上総地方の豊富で良質な地下水の供給をやめてまで企業団水(河川水)にする必要はないはずです。現に地下水で賄える地域を企業団水に切り替えて水がまずくなったという声が出ています。このことについても水需要の数値のからくり(つまり水需要が増加していると見せかける)が見えます。


●目立った洪水なし

 1980年、亀山ダムが完成して以降、目立った洪水や渇水は発生しておりません。
 県がダム建設の必要性のひとつにあげる例としては、1996年9月の大雨による小櫃川中流域岩田橋周辺での水田の冠水があります。しかし、これについて良く調べると、地元住民が述べているように、堤防が低過ぎること、バイパスを余りに低いところにつくったことなど周辺の工事の不適切さが大きな原因となっているようです。堤防がせめてバイパスのガードレールの高さまであれば冠水はなかった、とのことです。
 県河川海岸課との話し合いの席で、ダムの必要性を「200年確率の洪水災害に対処するため」との言に、“ダム建設計画先にありき”を感ぜずにはいられませんでした。
 治水について「今後総合的に検討し、河川整備計画を策定すること」との意見を付した事業評価監視委員会はこれらの不合理さを再検討せよということなのでしょう。


●本来の治水とは

 日本に昔から伝わる治水とは、山を守ることでした。地方別に切ってはならない樹木などが定められ、大切に山が守られてきました。
 現在の小櫃川流域は 273平方キロメートルのうち約17平方キロメートルがゴルフ場または山砂採取によって裸同然の山となっています。これは6%強に相当し、1キロメートルの正方形の中で 250メートルの正方形が裸の山ということです。土壌の部分を削られてしまった山は砂漠同様で、数十年たっても樹木は生えていません。ある程度の土壌を一緒にした植林が必要です。緑のダムをより多く復活させることこそ本来の治水策ではないでしょうか。
 先日の新聞に「治水とはアキアカネの育つこと」とありました。さらに護岸の点検です。水田の冠水した岩田橋付近の川幅を細めてしまうほど川原に積み上げられた鉱滓(こうさい)も問題です。また、過去に氾濫した低い土地を造成して住宅を建設している例も見受けられます。直接的な治水ではありませんが、これらのことについても防災の視点から目を向けていく必要があると思います。


●連絡会の結成と活動

 1997年12月、ダム建設計画の全容が新聞報道により明らかにされました。翌1998年春、千葉県自然保護連合、追原を歩く会、千葉エコツーリズム研究会、小櫃川の水を守る会がダム計画地である七里川渓谷観察会を共催し、100名を超える参加者がありました。その交流会で一同が千葉県内で自然度一番のこの地域をダムの底にしてはならないと一致したのです。既にこの頃、上記団体はそれぞれ独自に知事宛ダム建設見直しの要請書を提出していました。
 ほぼ半年の準備を経て1998年11月、「小櫃川源流城の自然を守り育む連絡会」を結成しました。前述したように私たち連絡会は、県行政や関係機関(君津広域水道企業団、東大演習林など)に利水、治水の視点からダムの必要のないこと、千葉県で最も豊かな自然環境を保護すること、北は千葉から南は富津まで6市で住民の飲料水として、ダム建設は汚濁原因となることなどを訴えてきました。また市民に対しては、千葉県の宝とも言うべき自然・七里川渓谷写真展を幾度となく実施し、保全を訴えてきました。
 建設省、県の企画部、都市部、環境部、土木部や地元君津、木更津、袖ケ浦市などが名を連ねる千葉県都市河川環境管理協議会(高橋彌会長)は1998年、「小櫃川河川環境管理基本計画」のなかでダム計画地周辺を「自然の宝庫であるため、水質や自然環境の保全を基本として河川空間を管理する」としています。この協議会のなかでも「小櫃川の水を守る会」は専門委員として加わり、ダム計画見直しを訴えてきました。
 1997年、河川法改正(河川整備計画については地方公共団体の長、地域住民等の意見を反映させるための手続きを導入することなど)、社会情勢の変化も大きな後押しとなり、県は環境調査などに慎重にならざるをえなくなり、結果的に事業採択されてから5年が経過し、事業評価監視委員会はダム建設中止の判断をせざるをえない状況にいたったわけです。


●県は委員会の意見尊重を!

 県は事業評価監視委員会の意向を受け入れ、中止の方向で検討に入るとしていますが、私たち連絡会も「委員会の意見を尊重して早期にダム建設中止を正式決定する」よう要請します。さらに小櫃川流域の保護・保全についてもこれから具体的に要請します。


 皆さんが力をあわせたことによって秘境・七里川渓谷が守れそうです。今まで心を寄せてくださいました皆様、本当にありがとうございました。

(2000年10月)  








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