七里川渓谷へ


追原を歩く会 北澤真理子・上杉章子



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 久しぶりに七里川渓谷に行って来ました。鬼泪山山系にある古刹(こさつ)、鹿野山神野寺の大銀杏の前で集合。きれいに整備された阿久留王のお墓にお参りしてから渓谷に向かいました。トンネルを抜けて炭焼き小屋が見えれば心は20年前に戻ります。

 当時この地の佇(たたず)まいに惹かれ幾度も訪れていた私たちは、渓谷を堰き止めて造る追原ダム計画を知りました。房総半島を貫いて木更津から東京湾にそそぐ小櫃川の源流域。高い山が無い千葉県で、こんな風景があるのが信じられないような渓谷美と多様な生き物たち。「大事なふるさとをダムに沈めたくない」と強く思ったのです。

 先ずは、この渓谷の貴重さを多くの人に知ってもらおうと、何度も開いた自然観察会は人々の心を捉えました。この地方に関わるさまざまな分野を研究してきた先生たちが案内役を快く引き受けてくれました。薪炭産業で栄えた江戸時代の暮らし、珍しい貴重な植物、渓谷に棲む鳥や旅鳥、キノコの見分け方など。お猿、イノシシ、キョン、野生動物の群の研究をしている先生も。川岸の地層は地学の先生です。

 川岸に空けられた穴は、山の向こうの田んぼに川の水を送る、江戸時代の新田開発と土木技術の遺構であること。若者たちが出羽三山詣に行く前に集まる観音堂。明治時代に造られた広大な東大演習林は、魚や虫たちの命を育む清流を生み出している。

 感動したりびっくりしたりして回を重ね、小櫃川源流域七里川渓谷のファンが増えていった頃、日本の各地で脱ダムの世論が広がり、追原ダム計画は「時のアセス」で白紙撤回されました。

 見頃の紅葉がハラハラと降る渓谷に下りてみました。20年前と同じように静かにそこに鎮座している水神様の祠(ほこら)には、真新しいお酒が供えられていました。水神様は昔も今も同じように集落の人たちに敬われ、渓谷と人々の暮らしを守っているのです。この穏やかな渓谷の日々が、いつまでも続いていくことを願っています。
(北澤真理子、2021年12月)














紅葉の七里川渓谷。川の流れの働きによってできた小さな島には水神様が祀られている



小さな島に祀られた水神様=上杉さん撮影



阿久留王の墓(胴塚)に線香をあげる。伝説によれば、阿久留王はヤマト王権の支配に服従しない
「まつろわぬ民」(『古事記』)として征討軍と果敢に戦い、八つ裂きにされた。ここには彼の
胴体が埋葬されている。前方の盛りあがった所が胴塚。毎月13日に法要が営まれている=君津市




阿久留王の胴塚では毎月13日に法要が営まれている。12月13日は20人が参列。上杉さんと中山も
参列した。阿久留王は「製鉄部族の王」でもあった。「製鉄の祖」を供養するため、地元君津市
の製鉄関連会社のみなさんはこの法要に毎回20人近くが参列している=2021年12月13日



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