【随想】

 国の基準値と環境問題、そして自己責任

八尋信英(千葉工業大学 工学部 工業化学科)




 古敷谷の処分場を知ったのは、自然保護連合のネット情報であった。その中で特に関心を持ったのは、「黒い水が流れ、川蜷が死んだ」との字句であり、もっと詳しい情報が欲しかった。
 この当時、私は福岡県筑紫野市で起こった黒い蟹が関与する風評裁判に係っており、このことから古敷谷での調査は不可欠であった。(筑紫野に棲息する黒い川蜷の調査を素人なりに行なっていた)にも拘らず、古敷谷の現場に辿り着いた時は、埋め立てが止まって2年を経ていた。
 初めて行ったとき、処分場には人気もなく、ただ硫化水素の臭いが迎えてくれた。そして最初の調査では、浸出水の電気伝導率は周辺の水より30倍程、そして水温は10℃程高い値を示し、環境保全の観点からは、汚染状況が続いていると見えた。
 昨年6月、私の部屋と住民との学習交流会を行なった際、県が調査した分析項目を見ることが出来た。私はこれまで幾つかの調査結果を見てきたが、どの処分場でも分析項目は、国の基準値が示された有害物質の分析であった。そして必ず「有害物質は基準値以下なので、問題ありません」と回答してくるが、この基準値がどの程度の医学的根拠があるのだろうか。基準値以内だったら、本当に安全なのだろうか。処分場に埋めたゴミの成分がわからないのに、一義的な分析で良いのか疑問が生じるし、ましてや不法投棄、違法投棄なら、尚更調査内容に工夫する必要があるのではないだろうか。  私が考える基準値とは、国が定めた一辺倒の値でなく、本来その地に存在した固有値と考えている。当然その値は、時とともに変化するものである。
 「国が定めた値以内であれば、何をやっても良い」、「国の値が示されていないものは、手の打ち様がない」などと地方行政は言うが、独自の判断が出来ないのだろうか。
 最近「自己責任」と言う言葉を耳にするが、処分場の許認可権者は地方行政なのだから、失策による強制代執行に対し、その費用は税金ではなく、廃棄物担当課職員の身銭にするべきと考える。
 今年も毎月古敷谷には足を運んでいる。見掛け上、水質は良くなった様に見られるかもしれないが、浸出水には大量の二酸化炭素が溶解しており、また法面には固定化硫化水素も見られる。これらのことから、場内の地下では、今でも微生物による発酵(腐敗)が持続していることを認識すべきである。

(2004年6月)   







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