幕張新都心は“魅力のない街”

〜やがて“明るい廃墟”に〜

開発問題研究会



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 千葉県が自慢する巨大開発「幕張新都心」は、千葉市幕張地区の埋め立て地につくられた都市である。
 しかし、行ってみればわかるように、この街からは生活の息づかいがまったく伝わってこない。また、そこで働く従業者のことも考えられていない。このため、幕張新都心は“魅力のない街”になっている。


幕張新都心は「生活感のない街」

 この点については、いろいろと指摘されている。一部を紹介するとこうである。

 「千葉・海浜幕張に行く機会がありました。第一印象は『なんて生活感のない街だろう』。4車線道路、企業の高層ビル、ホテルなど見かけは確かに立派でしたが、どうにも生活の息づかいが伝わってこない。埋立地を開発してつくった街とはこういうものかと再認識させられました」(『住民と自治』02年4月号の「編集後記」)

 「幕張新都心を歩いて気がつくのは『何と“表情”のない街だろう』ということである。幕張メッセを始め、幕張テクノガーデン、ワールドビジネスガーデン、さらに林立するホテル群、富士通、日本IBM、セイコー電子工業など日本を代表するホテル群が建ち並ぶ。しかし何とも一般を引きつける魅力がない。もしこのまま何らかの手を打たなければ、幕張はただの単なるビジネス都市になってしまう恐れさえある」(『JOHOちば』96年6月号)

 「人も集客に敏感なデパートも来ない。前述した人の通らない『メッセモール』も“あればいい”の象徴だ。幕張新都心は「人があえて訪れたくなる街」とはならなかった」(『週刊プレイボーイ』94年10月18日号)

 「大手ハイテク企業を誘致して、高層ビルだけの無機質な街になったと批判される幕張新都心」(『日本経済新聞』97年7月31日)

「無機的で温かみに欠けると言われることの多い千葉市美浜区の幕張新都心…」(『朝日新聞』97年12月2日)


幕張新都心の開発思想

 どうしてこんなことになったのだろうか。はっきり言えば、幕張新都心開発を進めた県企業庁の幹部が“無能”だったからである。
 開発の思想はこうだった。
 「幕張新都心は“未来型の国際業務都市”なので、有名大企業しか誘致しない。地元の中小企業は遠慮してもらう。また、新都心内では、“赤ちょうちん”、マージャン店、カラオケスナックなどの営業は禁止する」
 よく考えれば、こんな方針で街をつくったらどうなるかはわかるはずである。しかし、当時の企業庁幹部や沼田知事は、批判や忠告に耳を貸さなかった。その結果、「高層ビルだけの無機質な街」とか「生活感のない街」などと言われるようなビル街になってしまった。


地元企業の分譲依頼を拒否

 開発思想を具体的に紹介すると、こうである。
 幕張新都心の業務研究地区はすべて大企業に売却された。日本IBM、セイコー電子工業、富士通、NTT、ソニーなどといった有名大企業である。県内企業からも分譲の申し込みがあった。しかし、県は県内企業への分譲を拒否し、大企業へ優先的に分譲した。県当局の言い分は、「幕張には幕張の哲学がある」「進出企業は、国際業務都市づくりにふさわしいものでなくてはならない」(『朝 日新聞』89年10月8日)というものだった。

 こうした大企業優先の県の姿勢には、県経済界からも強い不満がでていた。たとえば、「ちば玉姫殿」を経営していた千葉互助センターの林泉社長はこう言った。
 「原住民である地元中小企業を、移住してきた大企業が駆逐してしまう。幕張に土地を確保できたのは結局、東京の大企業だけじゃないか」(『朝日新聞』、同)
 また、市原市に本社をおく「日本コンピュータ・グラフィック」の斉藤社長は、「入居は大企業優先で、地元企業には特別枠などの配慮は何もない。千葉の海岸を埋め立てた土地なのに」(同、89年1月16日)と批判した。
 この点については、『JOHOちば』(96年7月1日号)もこう書いている。
 「一流企業ばかりを対象とするやり方に、地元優良企業が『千葉の土地なんだから地元の企業にも分譲を』と異業種企業団体として申し入れたが、企業庁からニベもなく断られた」


「幕張難民」とよばれる就業者

 ところどころに「露店・屋台等の出店を禁ずる」という看板が立てられているように、新都心内で「赤ちょうちん」などの商売をすることは禁じられている。マージャン店やカラオケスナックなど も営業できない。
 したがって、仕事を終えてからくつろいだり遊んだりする場がまったくといってよいほどないのである。オフィスビル内に飲食店が少しあるが、それも「夜9時から9時半でラストオーダー。二次会のカラオケに行こうとしても、スナックなどを探すのは難しい」(『日本経済新聞』92年10月8日)という状況である。

 これでは、にぎわいなど生まれるわけがない。ノンフィクション作家の佐野眞一氏はこう書いている。
 「この街には、都市の活力の源泉の一つである猥雑(わいざつ)さがきれいさっぱり除去されている。この街にはカラオケスナックもなければ、パチンコ屋もない。サラリーマン諸氏はマージャン一つするにも、はるばる津田沼まで足を伸ばさなければならない」(『ウイル』90年7月号)

 このように、幕張新都心で働く労働者にとって就業環境はよくない。92年10月8日付けの『日本経済新聞』は、ここで働く労働者は「幕張難民」と呼ばれていると報じている。
 こうした状況はいまもまったく変わりない。たとえば、新都心に本社をおく日本IBMの社員は、「社員の大半が幕張(本社)勤務を嫌がっている。これは、他社も同じ」と話している。


“明るい廃墟”になる

 ある不動産鑑定士は、幕張新都心は「“スラム化”する恐れ」があると指摘している。
 「真っ先に都心近郊の都市が“スラム化”する恐れがあります。たとえば千葉の幕張などの近郊都市はバブル期の再開発で企業誘致に成功したが、都市部のオフィスビルに値ごろ感が出てきたため魅力が薄れ、進出企業が都心回帰する現象が始まっている」(『日刊ゲンダイ』、02年12月3日)

 そのとおりである。高層ビルの「幕張テクノガーデン」や「ワールドビジネスガーデン」に入っていた事業所は次々と撤退している。北澤美術館も閉館になった。美術館を経営していた「キッツ」の役員に聞いたところ、「来館者が多かったのはオープン後しばらくの間だけで、あとはサッパリだった」「幕張新都心は、にぎわいがまったくない」と言った。

 新聞もこう報じている。
 「地価が高騰したバブル期には、賃料が安く都心から1時間以内の幕張に、次々と企業が“脱出”してきた。今は『逆コース』だ。24階建て2棟を含む5棟が連なる『幕張テクノガーデン』。昨秋以降、『本社機能を都心に集中させる』などの理由で2社が退去した。自社ビルを構えるキャノン販売は4月、総務や人事などの本社管理部門を、都内の別部門と集約するため、東品川の新ビルに移転させた。オフィスビル管理会社の担当者は『今は都内でいくらでも安くオフィスを借りられる。幕張に価格メリットはない。賃料を下げても不便なのでやはり対抗できない。打つ手がない』と嘆いた」(『東京新聞』03年7月30日)
 空き室が目立ったオフィスビルを救うため、県は昨年、県庁舎にあった一部の職場を幕張新都心に移した。もちろん、多額の賃料は血税からまかなわれている。

 これが幕張新都心の実像である。ところが県は、広報紙などで「発展を続ける幕張新都心」などと、バラ色に描いている。これは“県民だまし”としかいいようがない。


新都心事業は大赤字

 新都心事業は財政的にも大赤字である。前出の『東京新聞』はこう書いている。
 「計画では、全体で520ヘクタールの土地に15万人が働き2万6000人が住む、とされた。だが、30年近く経過した現在でも就業者は3万7000人、居住者は1万3300人にとどまる。幕張に投じた企業債の未償還残高は100億円を超えており、企業庁の財政を圧迫している」

 幕張新都心は破綻が確実である。そのツケは県民に回されることになる。デタラメ経営で破綻した県住宅供給公社と同じである。

(2005年1月)










幕張新都心は昼間でも閑散としている。





幕張新都心の夕暮れ。人気(ひとけ)がなく、
まさにゴーストタウンである。





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