★大規模開発と行財政


大規模開発の実態をみる

〜幕張新都心を中心に〜

開発問題研究会



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1.は じ め に

 経済や財政が未曾有の危機に陥り、環境破壊なども深刻になる中で、これらに大きくかかわる大型公共事業(大規模開発)の見直しがつよくさけばれている。これは、千葉県も同じである。財政危機についていえば、本県では、借金が98年度末で約1兆6500億円(同年度一般会計の予算規模は約1兆7000億円)にふくらむ。民間企業であれば、とっくに倒産である。
 財政危機の原因の一つは、野放図な大規模開発の推進である。かずさアカデミアパークや幕張新都心、東京湾横断道路(アクアライン)など、企業進出が見込めずにゆきづまったり、採算のとれない巨大事業にたいして、莫大な県費が投入されつづけている。
 しかし、県は、こうしたことを見直そうとせずに、幕張新都心などにひきつづき巨額の県費を投入すると同時に、新たな大規模事業を強引に押し進めようとしている。常磐新線沿線開発、東京外郭環状道路、首都圏中央連絡自動車道などである。反対の声が強い三番瀬の埋め立ても、相変わらず強行の姿勢である。また、東京湾横断道路が開通後ろくに利用されず、赤字をふくらませているのに、そのうえ、さらに2本目の海峡横断道(「東京湾口道路」)の実現に力を入れようとしている。
 こうした中、県が最も力を注いでいる幕張新都心を具体的にとりあげ、現在すすめている大規模開発がどのようなものであるかをみてみる。



千葉県内の大規模開発






2.県民をあざむく「県民だより」

 幕張新都心開発は、幕張メッセのほかにオフィスビル、ホテル、マンションなど数多くの高層ビルを建設して、「高度な都市機能を備え、国際性と豊かな居住機能を融合させた未来型の国際業務都市」を創り出すというもので、総面積は522ヘクタール、総事業費は3兆円である。
 幕張新都心の中核として位置づけられている幕張メッセは、1989年10月にオープンし、98年10月に開業10年目を迎えた。オフィスビルについては、ワールドビジネスガーデン(35階建て2棟)と幕張テクノガーデン(24階建て2棟)、シャープビル(25階建て)、東京海上火災ビル(15階建て)などの高層ビルが林立し、ホテルも、49階建ての幕張プリンスホテルやホテルニューオータニなどが開業している。
 県は、広報紙『ちば県民だより』の98年9月号の1面で幕張新都心を大きく宣伝し、こう紹介している。
 「21世紀の千葉県づくりの拠点“幕張新都心”。『千葉新産業三角構想』の基幹プロジェクトの一つとして、順調に整備が進んできました。中核的施設の幕張メッセも、来月で開業10年目を迎えます。」「幕張新都心は、計画面積約522ヘクタールと都市開発としては、日本最大級の規模を誇り、大きく5つの地区に分かれています。(中略)このように『職・住・学・遊』の機能を併せ持つ、未来型の国際業務都市として整備の進む幕張新都心。日々約8万人もの人々が活動するまちとなっています。」「幕張新都心は、本県はもとより首都圏、ひいてはアジアの21世紀を支え、リードする都市として、さらに発展することが期待されています」
 「飛躍する幕張」という大きな見出しをつけてこのように書かれると、幕張新都心はたいへん華やかな国際都市のように見え、開発が順調に進んでいるようにみえる。しかし、これは県民を欺(あざむ)くものである。実際は、「未来型の国際都市」は名ばかりで、週刊誌に“ゴーストタウン”と書かれているのが実情である。開発は、「順調」どころか、完全にゆきづまっているのである。
 幕張新都心計画は、2000年度の就業人口を15万人、居住人口を2万6000人と見込んでいる。しかし、現在の就業人口はまだ約3万5000人で、計画の3分1でしかない。居住人口も約6000人でしかなく、見込みを大幅に下回っている。その理由は、企業進出がストップしたことと、住宅街への入居がかんばしくないことである。それどころか、比較的早く建設されたオフィスビル「幕張テクノガーデン」は、企業の撤退が相次ぎ、空き室がめだっている。「ワールドビジネスガーデン」も同じような状況で、たとえば4社入っていた証券会社は、すべて撤退してしまった。千葉市と習志野市にまたがる幕張新都心の拡大地区にいたっては、12の企業(グループ)・組合が高層オフィスビルなどの計画を持っているが、じっさいに建設に踏み切る企業はひとつもない。
 そして、昨年4月、企業進出の呼び水にする目的で、県が6億円を投入して建設した「パルプラザ幕張」については、98年9月24日付けの読売新聞がこう書いている。
 「飲食店など8店舗が営業するが、場所の悪さなどから経営難に陥り、撤退の憂き目を見た店が早くも2つある。」「県の担当者が『この時間帯なら、なかなかのにぎわいですよ』と太鼓判を押した、夕方6時過ぎにのぞいてみた。だが、どの店も、従業員の方が客より明らかに多く、季節外れのリゾートに迷い込んだようなわびしさが漂う」
 このように、県が「飛躍する幕張」などと宣伝している幕張新都心は、実際には惨たんたる状態なのである。


3.週刊誌が幕張新都心をゴーストタウンと報道

 『週刊プレイボーイ』誌の94年10月18日号は、「徹底検証・湾岸ゴーストタウン『幕張新都心』の謎」というタイトルで幕張新都心をとりあげている。幕張新都心の実態をよくとらえているので、記事の一部を紹介しよう。

●驚くほど人が少ない
 記事はまず、「高層ビルが立ち並ぶその未来型都市は、驚くほど人の少ない、そしてミョーな空き地の多い不思議な空間だ」と記し、次のような女の子二人組の話を紹介している。
 「埼玉から来ました。ベイエリアっていうから、ディスコとかレストランとかオシャレな店がいっぱいあるかと思ったら観光地もなにもない。人も歩いていないし。(中略)千葉と埼玉ってよく比較されるけど、『勝った』って思った(笑)」

●客が泊まらないホテル
 幕張新都心には“幕張メッセ需要”を当て込んだホテルが6つも建設されている。しかし、客はメッセに来ても高級ホテルには泊まらず、「日帰りで帰るか、6つの中で最も低料金の中堅シティホテルに客は集中する」という。
 結局、ホテル各社は“メッセ需要”をとっくにあきらめており、パックツアーと披露宴を頼りにしているという。

●オフィスビルは閑散
 続けて記事は、「客が来ないのはホテルだけでない」とし、次のように記している。
 「幕張新都心地区には15の高層オフィスビルが建っているが、テナントが入らなくて四苦八苦しているビルが少なくない。4フロアまるごと借り手がいないというビルもある。1階のエントランスはビルの顔だが、幕張新都心では人の出入りが少なく、どのオフィスビルも閑散としている」

●駅前一等地に“奇妙な花畑”
 JR海浜幕張駅前は商業施設が集まるタウンセンター地区として位置づけられおり、一等地となるはずのところである。しかし実際には、「不思議な、あるいは不自然な空き地が多く見られ」、また、「広いお花畑」もある。その辺の事情を記事はつぎのように紹介している。
 県はタウンセンター地区に東急やブルーミングデール(アメリカの高級デパート)、セゾンなどの流通各社の誘致を予定していたが、これらの企業は「駅前一等地といえども幕張新都心には人が少なく、ゆえに採算は取れず撤退もやむなし」と判断し、幕張新都心への進出を断念した。つまり、「オフィスビルには思うようにテナントが入らず、商業地区では流通各社の撤退が続き、進出予定企業もなかなか計画が進まない状態なのだ。“お花畑”は、整地したままの赤茶けた土地ではあまりにカッコがつかないからと花を植えたもの」だった。

●人の通らない“豪華な舗道”
 県が多額の金を投じてつくった舗道「メッセモール」について、記事はこう書いている。
 「幕張メッセから駅に向かう途中には、噴水、花壇、モニュメントなどに彩られた“メッセモール”という立派な舗道がある。(中略)この遊歩道を利用する人はほとんどいないというのだ。(中略)あまり人が通らないので、メッセでのイベント終了後、会場出口で『駅まではメッセモールを通って帰ってください』というアナウンスまでしたこともあった。イメージアップのため小さくない予算で作ったのに使われない施設。(中略)ここ幕張では、目立つものや豪華なものが第一義に考えられているのだろうか」

●族にも認定された“人のいない場所”
 “幕張新都心の名物はメッセとゾク”とも言われている。ゾクとはゼロヨン族、ローリング族、ナンパ族のことで、記事は、「彼らが車やバイクを走らせたくなるのは、整備された太い道路があり、かつ、そこに夜間、人や車の通りがほとんどなくなるからだ。(中略)幕張は族にも認定された“人のいない場所”なのである」と書いている。


 同誌が書いているような状況は、現在も変わりない。たとえば、『週刊現代』の98年3月7日号も、ゴーストタウンと化した夕暮れの幕張新都心を写真で紹介し、こう記している。
 「総面積522ヘクタール、総事業費3兆円を投じて開発した幕張新都心の夕暮れは、まるでゴーストタウンのようだ。幕張メッセが完成した89年頃までは、バブルの波に乗って続々と企業が進出したが、ここ数年はビル建設の凍結や企業の撤退が相次いだ。いまでは、空き地と明かりのつかないビルの窓ばかりが目立つ。幕張の発展をあてこんで先行オープンした6つのホテルも集客はいまひとつで、客室稼働率が予定の3割というホテルもある」
 ちなみに、6つあるホテルのうち、ホテル・ザ・マンハッタンは、98年の夏、経営がゆきづまり、経営権を他社に移譲した。


4.ゴーストタウンに莫大な県費を投入

 県は、幕張新都心を「21世紀をリードする未来都市」などと盛んに宣伝し、今もばく大な県費を投じつづけている。しかしその実態は、『週刊プレイボーイ』や『週刊現代』が書いているとおりである。
 幕張新都心内の幕張メッセや道路、公園、ごみ処理施設(空気輸送システム)、遊歩道、歩道橋、街灯、公衆便所などは、ほかのどの地域でもみられないような豪華で立派なものである。たとえば、道路に照明灯が数多く設置されているが、この照明灯の値段は、1基(本)で1000万円もする。県内のほかの地域の照明灯は既製品なので1基100万円以下だが、ここはすべて特別注文でつくったので、10倍以上も高いのである。幕張新都心内には、こうした超高価な照明灯が、道路や公園など、いたるところに約1000基も設置されている。当然のことながら、特別注文だから、維持費も通常の10倍以上である。また、JR海浜幕張駅隣りにある公衆便所は1億円もかけてつくられた(普通は2000万円ぐらい)。県は、こうした新都心の都市基盤整備に5000億円を投資する予定でいる。
 このような新都心の基盤整備については、土木事業にたずさわっている県職員の間でもたいへん評判が悪い。「あとの維持管理はまったく考えず、ゼイタク三昧でつくられている」「モノを豪華につくれば立派な街ができると勘違いしている」「湯水のように金をつぎ込んでおり、ムダな投資のオンパレード」などという批判が多く出されているのである。
 そして、幕張メッセについていえば、10年前に330億円を費やして建設して以降、稼働率(実際に施設が使われた割合)が低迷して赤字が累積している。にもかかわず、県は97年、さらに220億円を投入し、第二メッセを建設した。メッセの運営赤字の穴埋めのために県と千葉市がつぎこんだ税金は、これまでに県が94億円、千葉市が37億円となっているが、この赤字補てんは増える一方である(図2参照)。県は、メッセの稼働率を上げるために、国際スポーツ大会などのイベントを頻繁(ひんぱん)に開いているが、こうした経費などを含めれば、メッセへの県費投入は巨額になる。
 このメッセは、使用料が高すぎるために1般県民はとても利用できず、使用しているのは資金力のある大企業や業界団体が中心である(それもほとんどが県外)。また、幕張メッセで各種イベントが開催されても、主催者はイベント企画や運営、会場設営などの仕事を県内業者に請け負わせないために、メッセによる県内への経済波及効果は小さい。−−これは当初から指摘されていたが、この状況は今もまったく変わらない。たとえば、95年11月4日付けの千葉日報は「期待はずれの波及効果」という見出しでこう書いているが、現在も同じ状況である。
 「幕張メッセで催しを開いても、消費支出の3分の2は主に東京へ流出しており、『千葉県の顔』として建設された主要施設のはずが地元経済への貢献度は低いという実態が浮き彫りになった。コンベンション関連産業でも実態は変わらない。県内企業の受注例は少なく、大部分は東京の業者が請け負っているものと推測される」
 また、メッセの総工事費654億円の発注先は、ほとんどが大手ゼネコンなど県外企業で、県内企業はわずか52億円(8%)でしかない。
 実態はこうなっているのに、沼田知事らは、マスコミや広報紙などで、「幕張メッセは県経済に計り知れない効果をもたらしている」などと言い続けている。これは、太平洋戦争末期の大本営発表とまったく同じで、県民をだますものである。


5.維持管理費も巨額

 前述のように、幕張新都心は、道路や歩道橋など、すべてが豪華につくられているため、維持管理費はばく大である。たとえば、JR海浜幕張駅からメッセに向かう際に通る歩道橋は、エスカレーターや屋根、照明灯、案内人がついている。エスカレーターは人が通らなくても動かしており、一つの歩道橋だけで年間1000万円以上も維持費がかかっている。新都心内の道路も、千葉市に市道として引き取ってもらおうと交渉しているが、どれも豪華すぎて、あまりにも維持費がかかるため、千葉市は引き取ろうとしない。だから、新都心内の道路は、市道でも県道でもなく、県企業庁所有の「私道」になっている(マリンスタジアム前の道路だけは市が引き取った)。
 ちなみに、埋め立ての「代償」として幕張新都心の地先に造られた人工海浜「幕張の浜」は、毎年、1万立方メートルもの砂が流失しており、県は、砂の補給に大金を投入し続けている。これについては、朝日新聞(95年1月12日)がこう記している。
 「全知全能の神ゼウスは悪事を働いたシシュフォスに、山頂まで巨大な岩を運ぶ刑を科した。しかし、岩は頂が近づくと決まって転がり落ちる。シシュフォスは永遠に不毛の作業を繰り返さざるを得ない。ギリシャ神話のこの一節は、幕張に築かれた人工海浜の姿と重なる。毎年、この浜から1万立方メートルもの砂が流失している。絶えず砂の補給を余儀なくされているのだ。」「昨年(94年)は、約9400立方メートルの山砂が約40キロ離れた大栄町から運び込まれた。毎日ダンプカー2、30台でピストン輸送し、半月かかった。浜の維持管理費は年間約8000万円に上るという」
 この「幕張の浜」も、県企業庁は千葉市などに渡そうとしているが、「永遠に不毛の作業を繰り返さざるを得ない」のを嫌がり、どこも引き取りを拒み続けている。


5.計画ははじめから疑問視されていた

 県は、幕張新都心への企業進出が低迷していることや、幕張メッセの稼働率が低いことなどについて、少しも反省していない。たとえば、98年6月県議会で島崎實副知事は、メッセの稼働率が落ち込んでいることについて、「だれもが予測し得なかったバブル景気と、その崩壊という経済変動の影響を受け、平成6年度以降厳しい状況にあると認識している」(『千葉県議会時報』)と答弁し、見通しの甘さと県の責任を否定した。しかし、これはまったくの言い逃れである。というのは、県が幕張新都心開発に着手した時点で、すでに多くの識者やマスコミなどが、その先行きが暗いことを指摘していたからである。東京都が埋め立て地に「臨海副都心」を、横浜市が同じく埋め立て地に「みなとみらい21」を、そして埼玉県も浦和、大宮の両市に新都心計画をうちあげるなど、狭い地域に大規模な新都心構想がいくつも計画された。こうした中で、10万人以上の就業人口を生み出すようなたくさんの企業中枢機能や研究開発機能などが幕張にやってくるなどということについて疑問をもつのは当然である。いくつかあげると、たとえば、87年2月1日付けの朝日新聞は、次のように書いている。
 「横浜のMM21、埼玉のYOU And I計画、千葉の幕張メッセ、いずれも国際会議場や国際見本市会場を目玉に、先端産業の誘致を目指している。だが、東京テレポートや都庁跡地への東京国際フォーラムなど大規模プロジェクトが進められると、『中枢機能はみんな東京に集まって、周辺に行くのは、せいぜいコンピューターセンターなど事務処理機能くらいだろう』と、デベロッパーや都市計画専門家の間でささやかれている」
 また、同年7月27日付けの同紙(夕刊)は、「鳴り物入りの晴海副都心が推進されたとき、先行している『みなとみらい』(横浜)や『幕張プロジェクト』(千葉)が果たして計画通り成り立つのか。構想がかなり類似しており、むずかしい」と記している。
 幕張メッセについても同じである。たとえば日本経済新聞は、「明らかに乱立気味」(84年6月1日)とか、「将来、逆に会場過剰時代を迎えることも懸念される」(同年11月27日)、「血で血を洗うような(見本市会場の)のし烈な争奪戦が展開されることになるだろう」(同年7月6日)などと書き、大規模なメッセ計画に疑問をなげかけていた。また朝日新聞も、「『乱立』気味の似たような施設が次々と完成すれば、『客引き』が激しくなって、閑古鳥の鳴くところが出てくる可能性もないではない」(85年10月19日)などと指摘した。
 そして、メッセ建設費の一部を負担する千葉市では、庁内で反対意見が強くだされていた。これを反映し、松井旭千葉市長は、「メッセの波及効果がはっきりもせず、採算の合わない事業に巨額の出資をしていいものか」(読売新聞、85年5月11日)と述べ、建設費の一部を市が負担することに反対した。さらに自治省も、「財政圧迫は必至。起債も容易には認められない」と県にクレームをつけた(朝日新聞、85年5月11日)。ちなみに、松井千葉市長は、大企業や沼田知事の意向を受けた浜田幸一衆院議員(当時)に恫喝(どうかつ)され、メッセへの財政負担に応じた。
 このように、幕張新都心や幕張メッセは、当初から計画に大きな疑問が出されていたのである。実は、この点は、県幹部自身も明確な展望をもっていなかった。たとえば、幕張新都心計画を担当していた県企業庁の幹部(地域整備部管理課長)は、84年6月10日に千葉市美浜区の幕張西2丁目で開かれた住民説明会の席上、「横浜、東京、埼玉もメッセを計画しており、見本市会場計画が競合している中で、成算はあるのか」という質問にたいし、「それは非常にむずかしい質問で、知事でも答えられないだろう。だが、すでに計画は公表されており、事業は進めざるをえない。あとは他県との競争に勝つしかないので、県民のみなさんのご協力をお願いしたい」と答えている(『赤旗』84年6月19日など)。日本経済新聞(84年7月6日)も書いたように、「『今はただ、奪い取ることに専念するだけ』というのが正直なところ」だったのである。
 みられるように、県は、識者やマスコミなどの疑問や反対を無視し、たしかな見通しをもたないまま、巨大プロジェクトを強引に推進したのである。


6.住民不在のまちづくり

 幕張新都心が“ゴーストタウン”となっている原因として、県がまちづくりに関して無能ということもあげなければならない。
 県は、単に有名大企業を誘致するればよいという考え方で開発を進めた。幕張新都心の業務研究地区はすべて大企業に格安な価格で売却した。日本IBM、セイコー電子工業、富士通、NTT、ソニーなどといった有名大企業である。県内企業からも分譲の申し込みがあったが、県は県内企業への分譲を拒否し、大企業へ優先的に分譲した。県当局の言い分は、「幕張には幕張の哲学がある」「進出企業は、国際業務都市づくりにふさわしいものでなくてはならない」(朝日新聞、89年10月8日)というものであった。
 こうした大企業優先の県の姿勢には県経済界からも強い不満がでた。たとえば、当時、「ちば玉姫殿」を経営していた千葉互助センターの林泉社長は、「原住民である地元中小企業を、移住してきた大企業が駆逐してしまう。幕張に土地を確保できたのは結局、東京の大企業だけじゃないか」(朝日新聞、89年10月8日)と不満を表明した。また、市原市に本社をおく「日本コンピュータ・グラフィック」の斉藤社長は、「入居は大企業優先で、地元企業には特別枠などの配慮は何もない。千葉の海岸を埋め立てた土地なのに」(同、89年1月16日)と批判した。この点については、『JOHOちば』(96年7月1日号)もこう書いている。
 「一流企業ばかりを対象とするやり方に、地元優良企業が『千葉の土地なんだから地元の企業にも分譲を』と異業種企業団体として申し入れたが、企業庁からにベもなく断られた」
 そして、新都心地区には公営住宅を1戸もつくらないというのが県の方針である。その理由は、やはり“幕張には幕張の哲学がある”というもので、具体的には“県営住宅や市営住宅は未来型国際都市にふさわしくない”ということである。実際に、県企業庁の幕張新都心開発の担当課では、「新都心の質が落ちるから、貧乏人は入居させない」ということが公然と語られていた。
 さらに、「露店・屋台等の出店を禁ずる」という看板があちこちに立てられており、新都心内で「赤ちょうちん」などの商売をすることはいっさい禁じられている。マージャン店やカラオケスナックなども営業できない。こうしたこともあって、就業者が仕事を終えてからくつろいだり遊んだりする場が極端に少ない。このように幕張新都心ににぎわいや潤いが欠けていることについては、ノンフィクション作家の佐野眞一氏がこう述べている。
 「この街には、都市の活力の源泉の一つである猥雑(わいざつ)さがきれいさっぱり除去されている。この街にはカラオケスナックもなければ、パチンコ屋もない。サラリーマン諸氏はマージャン一つするにも、はるばる津田沼まで足を伸ばさなければならない」(『ウイル』90年7月号)
 この点については、新聞も、「大手ハイテク企業を誘致して、高層ビルだけの無機質な街になったと批判される幕張新都心」(日本経済新聞、97年7月31日)とか、「無機的で温かみに欠けると言われることの多い千葉市美浜区の幕張新都心」(朝日新聞、97年12月2日)などと書いている。
 そもそも、地元の県民や業者を排除し、就業者がくつろいだりする場を禁じた街に、にぎわいや潤いが生まれるはずはない。ちょっと考えればわかることなのに、千葉県が進める開発は、いつもこういう調子なのである。
 つけくわえれば、幕張新都心のまちづくりは、専門家の間でもたいへん評判が悪い。たとえば、月刊誌『建築士事務所』の97年9月号に掲載された座談会で、田中英一氏(大成建設大阪支店設計部長、日本建築学会評議員など)と鍵山喜昭氏(株式会社ライフ計画事務所社長、元日本造園コンサルタント協会副会長など)はこう語っている。
鍵山「住民がいないところでものをつくり上げているケースがあるわけです。たとえば幕張。メッセの陸側は住民ゼロです。とくに問題になっているのはホテル街が集中している一角です。あれを外国の人が見たら何と言うだろう。まったく水と油のものが交錯して並んでいる。たまたま、あそこのランドスケープはうちが担当しました。メッセモールもそうですし、幕張海浜公園もそうです。プランを出した時に『それらを緑で包んで統一性を出せ』と言うのだけれども、そんなものではないんじゃないか。建築家の方々があれをご覧になったら、一つの街をつくる時にどうしたらいいのかという答えがあの中に入っているのかどうか。あそこには10以上のホテルがありますが、建築の設計者同士が1回も話し合っていないと思うんです」
田中「していないでしょうね」
鍵山「お化けみないなホテルもありますよね。牛の角みたいなものもあるし、いろいろなものがある。先ほど仙台の話をしましたが、そんなものに追いつく話じゃないわけですよね。日本庭園の見浜園から見ると、ちょうど茶室の裏側にそれがニョキニョキ出ている。屋根から上に出ていますから、これは隠せと言われても隠せないです。(中略)写真でもビデオでもいろいろな角度から撮って、『これが住民のいないところでまちづくりをやった所産である』と見せたら、建築家の方々は自分たちの仲間がやった仕事をどう評価するのか」
 さらにつけくわえれば、前出の『週刊プレイボーイ』誌は、幕張新都心計画は“あればなんでもいい”思想でつらぬかれているとし、こう書いている。
 「この“思想”は幕張新都心全体に貫かれている。都市を作るなら企業を誘致しよう。イベント会場で大イベントが開かれるならVIPが泊まれる高級ホテルが必要。駅前にはショッピングセンターがあるべき、そこには有名なデパートを……まるで箱庭を作るように夢を描いた。きれいなハードができれば人は自然に集まると考えた。きれいで快適なハイテク施設が“あればいい”。が、人も集客に敏感なデパートも来ない。前述した人の通らない『メッセモール』も“あればいい”の象徴だ。幕張新都心は『人があえて訪れたくなる街』とはならなかった」
 みられるように、幕張新都心計画は、まちづくりの観点からみても非常にお粗末なものとなっている。


7.県の開発は軒並み破たん

   ゆきづまっているのは幕張新都心だけではない。県が進めている大規模開発は軒並み破たんといっても過言ではない。
 朝日新聞が「壮大なムダの象徴」(84年11月20日)と書いた千葉ニュータウン開発をみてみよう。この開発は、県が「34万都市」をキャッチフレーズにして30年前の1969年(昭和44年)に着手し、76年(昭和51年)度中に完成の予定だった。その後、計画人口は19万人に縮小され、期間も2003年(平成15年)に延長された。しかし現在、分譲済みの宅地面積は約600ヘクタールで、計画面積約1200ヘクタールの半分でしかない。入居者もいまだ7万5000人と、計画は遅々として進まず、巨額の赤字が累積している。
 その最大の原因は、地権者や地元市町村にはなんの協議もなしに、県が突然、トップダウン方式で計画を発表し、事業を始めたことである。この計画のそもそもの目的は、成田空港対策であった。つまり、友納武人知事(当時)自身が述べているように、「成田空港と東京都心を最短距離で結ぶ鉄道および道路用地の確保」であり、「東西に細長い大ニュータウンを建設し、その真ん中に空港への鉄道、道路用地」を含ませることであった(友納武人『続・疾風怒涛』千葉日報社)。地権者(農民)の意向をまったく無視して農地を一方的に計画区域にとりこみ、しかもゴルフ場(習志野カントリークラブ)は政界有力者の口利きで不自然なかたちで区域から除外するといったやり方が通るはずはない。当然のことながら、用地買収は、事業開始から2年で早くもゆきづまった。しかも、住宅や学校などを配置する予定のところに「営農調整地」という名の農地を、つぎつぎと虫食い的に設定した。「営農調整地」は、地権者との間で「買収はしない」という覚書を交わし、農業を続けることを保証した土地である。県は、このこととひきかえに、その農民から所有地の一部を買収した。つまり、当面の用地買収面積の実績をあげるための便法である。新住宅市街地開発法にもとづいて都市計画決定された地域の中に農業区域を設けることは、明らかに同法に違反するものである。県は、このようなデタラメなやり方で事業を進めたのである。同事業は、すでに「営農調整地」を設けた時点でメチャクチャなものになってしまった(これらについては、小田隆造『絵に描いた街』日経事業出版社、などを参照)。
 つぎは、木更津、君津2市にまたがる「かずさアカデミアパーク」である。ここも惨たんたる状況となっている。県は、民間研究用地として150ヘクタールを予定しているが、企業との間で立地協定が結べたのは3社だけで、このうち研究所が完成したのは東京田辺製薬の1社(3.4ヘクタール)のみである。ほかは見通しが立っておらず、マスコミも、「めど立たぬ企業進出−−県の負担額は増加の一途」(朝日新聞、97年2月12日)、「見通し不透明で冷ややかな地元」(東京新聞、同年12月22日)などと書いている。県がこれまで負担した金額は、DNA研究所、かずさアカデミアホールを含むセンター建設費、その出資金、用地確保関連費、矢那川ダムや幹線道路の整備費などをあわせると、1000億円をゆうに超える。今年度も、約10億円を投入して企業向けの貸し研究室を建設するなど、県の負担額は増えるばかりである。この計画については、地元の君津市も破たんを認めており、若月弘市長(当時)は、市労組との交渉の席上、「かずさアカデミアパークについては、一日も早く収束すべきだが、これまでの経過があり、君津市が撤退することはできない」「現段階で2期工事を積極的に進める意思はない」と述べている(同労組発行『くみあいニュース』97年2月12日号)。
 また、1兆4400億円の巨費をつぎ込んで97年に開通した東京湾横断道路(アクアライン)は、1日2万5000台が通らないと採算がとれないのに、実際は半分以下の1万1100台でしかない。人工島に造られた「海ほたる」の駐車場は満車なのに、川崎方面へ向かう車はガラガラという状況が、毎日続いている。しかも、「海ほたる」は超人気といっても、「土産物など7つのテナントは県外大手資本の経営ばかりで、地元では漁協のコーナーがある程度」(『JOHOちば』98年4月号)というのが実態である。結局のところ、横断道は、年間1000億円の赤字タレ流しがずっと続くことになり、その巨額赤字はそっくり国民に転嫁されることになる。
 このほか、房総臨海工業用水道(房臨)は、臨海部大企業の求めに応じて約1700億円を投じてつくったにもかかわらず、当の大企業が「もう水はいらない」と言いだしたために、まったくの過剰設備となっている。県は、この房臨会計を支えるために、一般会計から無利子の貸し付けを続けている。朝日新聞(97年11月27日)によれば、96年度は31億円余を支出し、同年度までの貸付残額は約250億円にも上る。また、千葉・木更津港の公共埠頭は、港湾関係土建業者に仕事を与えるために毎年数十億円かけて整備されているが、利用する船が少なく、ここも過剰設備となっている。


8.“あとは野となれ山となれ”が開発思想

 大規模開発がこのような状況になっている中で、前述のように、県は新たな大規模開発をいくつも進めようとしている。しかし、いずれも、財政的には成算の見込みがないものばかりである。たとえば、三番瀬埋め立て計画についてみると、反対運動を進めている「三番瀬を守る署名ネットワーク」(大浜清代表)が、県企業庁との交渉で、「経済財政面についてはどこでどういう検討がされているのか教えてほしい」と問うたのに対し、企業庁側は「その回答は私の頭の中にはない」とはずかしげもなく答え、交渉参加者をあきれさせた。
 このように、開発を進める県の幹部などは、その事業に成算があるのかどうかなどはいっさい考えていない。幕張新都心や千葉ニュータウンなどと同じように、“ただモノをつくればいい”とか“あとは野となれ山となれ”というのが、根底にある思想である。さらにいえば、頭のなかは自己の保身しかなく、財政や県民はどうなってもいいと考えているのである。
 念のためにいえば、すべての県職員がそうなのではない。むしろ、職員の大多数は、三番瀬埋め立て計画の白紙撤回や、幕張新都心、かずさアカデミアパークなどの抜本的見直しを求めている。たとえば、千葉県職員労働組合が97年に実施した「県職員緊急アンケート」では、「県財政危機をどうしたらよいと思いますか」という問いについて、76.2%の職員が「大規模開発の見直し」と答えている。また、同労組が今年6月に実施した「98年人事・予算緊急アンケート」では、「県財政健全化にはどうしたらいいと思いますか」とか「あなたの目から見て『こんな予算の使い方は正すべきだ、こんなムダがある』という点について記入してください」という設問について、たくさんの職員が大規模開発に対する批判や見直しの必要性を書いている。「三番瀬の埋め立てなど、無意味な大規模開発を中止すべきだ」「自然を壊してまで、開発はしないで下さい」「開発優先の県政のツケを県民や職員にとらせるのはおかしい」「幕張やアカデミアパークの計画を縮小、撤退すべき。傷口を小さくしたほうが良い」「建物ばかりつくって、それに合わせたイベントが多すぎる」「メッセの増築や東京湾口道路なんて計画してほしくない。また、県の借金が増えます。この先10年くらい、大規模開発をやめたらかなり借金減りませんか?」などである(くわしくは、同労組発行『98年人事・予算緊急アンケート結果報告書』を参照)。しかし、大規模開発の推進に血眼(ちまなこ)になっている沼田知事は、こうした職員の声をまったく聞こうとしていない。
 ついでに書くと、公的資金(税金)を投入して救済することの是非が問題になった日本長期信用銀行(長銀)の乱脈経営について、長銀OBで経済評論家の日下公人はこう語っている。
 「本当に悪いのは、当時のトップの数人だったと思いますよ。深い見通しもないまま数兆円の金を動かしてしまった。ただ、悪いのは彼らだけではありません。当時からこんな融資がおかしいことは支店長には分かっていたはずです。ところが、上司に盲従して貸し出した人は出世して、逆に異を唱えた人は出世が止まってしまった」(毎日新聞、9月4日夕刊)
 これは、千葉県の県政運営や人事にもそのままあてはまる。県財政は、借金(県債残高)が急激に増えつづいている(図3)。このままいけば、破たんは必至である。しかし、膨大な財政赤字累積の元凶となっている幹部たちは、外郭団体の主要役員として天下り、そこで多額の報酬と退職金を手にしている。この点については、98年4月21日付けの読売新聞が「県OBの優雅な天下り」という見出しで実態をとりあげ、こう記している。
 「読売新聞社は、県が委託費は補助金を支出している外郭団体や第三セクターに多くの県退職者が再就職している『天下り』の実態を、各団体への聞き取りなどをもとに調べた。そこからは、数年間勤めただけで多額の退職金を受け取り、転々と団体を渡り歩く県幹部OBの姿が垣間見える。」「最近5年間の県の部長級の退職金支給額は最低で2789万円。最高では3900万円。団体によって額の多少はあるが、多額の退職金をもらった後、天下り先でわずか2、3年勤めれば、数百万円の退職金が転がり込むわけで、何ともうらやましい限りだ」
 ちなみに、こうした外郭団体の報酬や退職金は、元をたどれば県費(税金)である。


9.公共浪費にストップを

 幕張新都心を中心にして、大規模開発がどのようなものであるかを述べた。沼田知事は、県民一人ひとりに幸せを実感してもらうために開発を進めると述べているが、これはウソッパチである。県が進めている大型開発は、県民の幸せにむすびつくどころか、県財政を赤字地獄に落とし、環境破壊をいっそう深刻にするなど、県民に大きな犠牲を強いるもの−−としか言いようがない。
 この点では、通産省のある幹部が、全国各地でとりくまれていたテクノポリス構想についてこう書いていたのを思い出す。
 「不謹慎なことを言うようだが、私は、テクノポリスは完成しなくてもよいと思っている。そのプロセスで投入されるカネ、モノ、チエ。そのメカニズムこそテクノポリスの真髄なのだ。永遠の自己運動する大地のように、関係者の更なる御努力で偉大なる『未完成』がいつまでも自己増殖していくことを祈りたい」(『産業立地』86年1月号)
 これこそが、大規模開発推進のホンネであろう。「幕張新都心やかずさアカデミアパークなどは失敗してもよい。そこに莫大なカネが投入されるという、そのメカニズムこそが事業の真髄である。関係者のさらなる努力で“偉大な未完成”がいつまでも続くことを祈りたい」ということである。
 つけくわえれば、いま大きな問題になっている三番瀬埋め立て計画も、こうした思想に根ざしている。三番瀬の生態系を調査した県補足調査専門委員会は、動植物プランクトン302種、底生生物155種、魚類101種、鳥類89種の生息を確認している。毎日新聞(98年10月20日)の社説も述べているように、三番瀬は東京湾にも例のない「生命の源泉」となっているのである。また、水質浄化能力も高く、同委員会の調査報告によれば、下水処理場の処理人数に換算すると13万人分に相当するという。この埋め立て計画は、こうした環境面のほかに、財政面などでも大きな問題をかかえている。しかし、埋め立てをシャニムニ進めようとする県幹部にとっては、環境や財政などはどうでもいいことで、そこに莫大なカネを投入することそのものが目的なのである。
 三番瀬埋め立て計画を担当している県企業庁の幹部は、新聞で、「開発をやめるわけにはいかない。埋め立て地を小さくしたうえで、できるだけ環境への影響を減らすように計画を見直すしかない」「もちろん埋めっぱなしではなく、人工干潟などきちんとした環境保全策はとるつもりだ」(朝日新聞、98年10月22日)などと述べている。しかし、幕張新都心にみられるように、ばく大なカネを投入して豪華な建物や道路、公園などをつくれば立派な街ができると思っている県幹部に、「きちんとした環境保全」などできるわけがない。そもそも、三番瀬の価値や、三番瀬を残すことの意味などは全然わかっていないし、本物の干潟と「幕張の浜」のような人工海浜(干潟)との違いも理解できないのである。県自然保護連合の前代表をつとめた故石川敏雄千葉大名誉教授は、県との交渉の席上、県が「こんな干潟はどこにだってあるよ」と言ったことにふれ、「数百メートル、1キロメートルも干出する干潟は東日本、北日本には1カ所もないことをこの人たちは知らないのだろうか」と述べている(『干潟を守る』第58号、1994年)。まさにそのとおりで、干潟がもつ大切な価値などは知らないし、関心もないのである。
 ともあれ、こんなゼネコン奉仕型の公共浪費にストップをかけることが、いま強く求められている。

(1998年10月)   







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