八ッ場ダムは要らない、今からでも遅くない

〜ダム建設予定地を見学〜


千葉県自然保護連合事務局



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 「千葉県自然保護連合」と「追原ダムを歩く会」は、(2002年)5月11日、12日と、群馬県長野原町に計画されている八ッ場(やんば)ダムの予定地を見学しました。

 11日は、ダム建設で水没予定の吾妻渓谷を歩きました。“関東の耶馬渓”とよばれる渓谷美をたっぷり堪能した後、「やんば館」(国土交通省八ッ場ダム工事事務所の広報センター)を見学しました。

 宿泊は川原湯温泉の「山木館」です。自然林に囲まれた旅館の露天風呂は、眺望が良く、麦をつく水車も望めました。5月8日放映のテレビ東京「いい旅・夢気分」でとりあげられたので、日帰り入浴客が急激に増え、露天風呂は大盛況とのことです。
 しかし、ダムが建設されれば、吾妻渓谷の大部分とこの温泉のすべてが水没します。ダムで温泉街がそっくり水没するのはほかに例がないそうです。
 夜は、「ブッポーソウ」と鳴くコノハズクの鳴き声が聞こえます。旅館の従業員に「うらやましい」と言ったら、「毎晩聞こえる。騒がしくてしょうがないくらいだ」という答えが返ってきました。私たちからみれば、これはぜいたくな悩みです。
 コノハズクの鳴き声を聞きながら、ダム計画の見直しを求めて運動している群馬県自然保護団体連絡協議会の飯塚忠志代表(「八ッ場ダムを考える会」副代表)と地元長野原町の牧山明町議から、ダム建設をめぐる情況や地元住民の苦悩などを教えてもらいました。八ッ場ダムの建設を前提として千葉県内の自治体がすでに150億円以上負担していることも知らされ、ビックリです。

 翌12日は、約70体の石仏や五輪塔が並ぶ「三ッ堂」などを見学しました。「三ッ堂」の近くでは、幸運にもカモシカの親子3匹をすぐ近くでみることができました。

 参加者はみんな、自然豊かな吾妻渓谷やすぐれた温泉(川原湯温泉)などにたいへん感動しました。これらを守るために、そして、ムダな事業をやめさせるために、連帯して運動していくことを、地元の飯塚さんたちと確認しあい、長野原町をあとにしました。

(2002年5月)





参加者の感想



八ッ場ダムは要らない、今からでも遅くない


千葉県自然保護連合 牛野くみ子



 八ッ場ダムに関心を持ったのは10年前です。すでにその時、もう遅いとあきらめ、行かずじまいでしたが、今回の企画で行ってきました。感謝、感謝。上野駅から2時間あまりで、水没予定の川原湯温泉駅に着きます。
 緑に覆われた渓谷の美しさは格別で、青の洞門で知られる耶馬渓をしのぐ景観といわれています。歩いてみてその感を深くしました。木々の大きいこと! 一抱えもふたかかえもある木が、両手を空にさしのべています。ここのどの木の一本でも千葉に持っていったなら「ご神木」になる、とは、「追原を歩く会」の北澤さんの言葉です。
 沢がここかしこに水を湧き出し、川に運んでいます。豊富な水は人々に豊かさを与えてくれます。そんなところを落ち葉を踏みしめ、八ッ場ダム工事事務所の散策マップに書いてあるとおりに、「水について、私たちの暮らしとダムについて」思いをめぐらしながら歩いてきました。
 夕食後、群馬県自然保護団体連絡協議会代表の飯塚忠志さんからレクチャーを受けました。“ダムはいらない、今からでも遅くない”。当連合でも取り組んでみたいと思いました。
1.50年前の計画
 八ッ場ダムは1952年(昭和27年)に計画されたもので、当時と状況が変わっている。
2.利水面について
 首都圏の水需要は人口が頭打ちであることから、現在の水源のみで不足しない。また、工業用水も節水が進んでおり、需要はない。
3.治水面について
 治水は1947年(昭和22年)のカスリン台風を元にしているが、これは、戦時中の森林伐採で禿げ山になっていたことによるもの。現在は、緑豊かで保水能力がある。実際歩いてみて分かったのだが、吾妻川自体が深い渓谷なので、自然のダムになっている。
4.水質について
 吾妻川は強酸性である。周囲には硫黄鉱山が多く、また草津温泉の水も合わさっているので、酸性が非常に強い。このことは、川の中の石が赤くなっていることで分かる。こんな水は飲むには不適用である。それで品木ダムで石灰を入れて中和処理をしているが、硫酸カルシウムが貯まるので、時々取り出してコンクリートに固めて谷間に捨てているとのこと。廃棄物の増大。
5.財政について
 千葉県は2.35m3/sの水利権を持ち、平成13年度までに治水だけでも50億円の負担金を支出している。一方、千葉県内の利水者(水道局、企業庁など)による利水負担は、同じく13年度までで110億円。財政難だというのに、不要な水になぜ巨額な金をつぎ込むのだろう。
 現在、本体工事はまだはじまっていません。自然を破壊し、住民の生活を破壊するダムは不要であることを多くの人に知ってもらい、水利権を持っている埼玉県、東京都、群馬県、千葉県、茨城県に水利権撤回を求めていきたいと思います。みんなが要らないと言えば、ダムはできないのではないでしょうか。まだ、現地に行かれていない方、一見すればわかります。堂本さん、ご一緒にどうでしょう。ご案内いたします。





守ろう吾妻渓谷・川原湯温泉


千葉の干潟を守る会 竹川未喜男



 5月14日の朝、「わが町の文化をITで全国へ」という番組のテレビを見た。“デジタルアーカイブ”の産業化がテーマだった。長野県上田市の話として、16億円だかの予算を投じてりっぱな研究施設をつくり、貴重な映像記録やCG技術を用いて新しい事業を考えたが、結局はアニメくらいしかなかったという。
 沖縄のパネラーは、古代からの海洋生物の物語にもとづき、ジュゴンや鯨などのCG作品を観光産業のルートで国際市場に出すのだという。「アーカイブというのは保存、すなわち文化がなくてはいけない。ダムができ、村が没し、人は都会へ行き、過疎化が進み、祭や芸能も絶えてしまう。こうした貴重な村の歴史や文化を残すのが“デジタルアーカイブ”の役割ではないか」とつぎの論者が発言した。
 その2日前に行ってきたばかりの「八ツ場ダム」の名が反射的に浮かんだ。利根川の上流、海抜600mの新緑に映える岩山。その深い山間の底を流れる吾妻渓谷、遊歩道の目を楽しませてくれた藤の花、ムラサキツツジ。草津の湯に負けず、江戸時代から賑わったという川原湯温泉町のたたずまい。源頼朝ゆかりの湯まである。
 すべては湯治客のためといった宿のもてなし、透明で肌になじんだ岩風呂の湯。夕方、宿の窓べにはムササビが(年中)飛び、夜には(4月末から7月頃まで、梅雨の一時を除く)ブッポウソウが鳴いた。
 偶然、子連れのカモシカも目の前に現れた。山頂の樹上を舞っているのはイヌワシかも知れなかった。前史時代の遺跡も多い由。石仏群や道祖神も多い。崖の高みに並んで、村のくらしと、旅人たちの道中安かれと見守っているかのようだ。芭蕉、牧水、与謝野鉄幹・晶子や加納治五郎など文人の足跡もあるようだ。まさにここ、吾妻峡の町、長野原は自然と生活の中から先人たちが与えてくれた歴史的文化遺産なのである。
 こうした自然と文化と人々の生活がまるごとダムの底に沈められようとしている。聞けば聞くほど腹が立ってくる。今は治水も利水も共に根拠なし。唯ただ半世紀前の計画に固執し、ムダを承知で数千億円の血税を投じようとしているのだ。
 渓谷ぞいのダム堰堤の予定地には、工事会社として破産した「青木建設」の大看板が立っていた。工事用の道路際のプレハブ事務所には、一段と大きな字で「飛島建設」の字もあった。
 温泉街あげての反対闘争も50年にわたり、当初の指導者も代が替わった。群馬のボス政治家にほんろうされたそうである。今はもう、先の事業や暮らしのめどもないままに立ち退き補償の個別折衝に入っている段階と伺った。
 埼玉県を筆頭に、千葉県も水利権として400億円を出すことになっており、すでに県も暫定水利権を支払ってきているという。堂本知事が「もう水の心配はなくなりました。水はもうけっこうです」と言えば、全体のダム計画はストップになる。
 海と山は人目につかず、金のために食い物にされてきた。長野原町の人に替わって、我々自然保護団体の出番となった。北澤さんたち、七里川渓谷を守った「追原を歩く会」のみなさんの怪気炎に負けないよう応援しよう。山で負ければ、海でも負けるだろう。






新緑に覆われた吾妻渓谷








国土交通省八ッ場ダム工事事務所のダム広報センター「やんば館」にて








旅館「柏屋」の壁に表示された八ッ場ダム完成時の水没線。「柏屋」は川原湯温泉街の最も高い所にあります。








川原湯温泉街の全景。大自然に囲まれた、静かな温泉街です。








約70体の石仏や五輪塔が並ぶ「三ッ堂」








「三ッ堂」の近くで、幸運にもカモシカの親子3匹をすぐ近くでみることができました。






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