ダム建設で水没予定の

吾妻渓谷と川原湯温泉

中山敏則



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■吾妻渓谷

 2000年10月下旬、ダム建設で水没予定の吾妻(あがつま)渓谷と川原湯(かわらゆ)温泉を訪ねた。
 吾妻渓谷は群馬県にある。この渓谷は“関東の耶馬渓(やばけい)”と呼ばれるほどのすばらしい奇勝地である。火山から噴き出た溶岩を吾妻川が侵食し、両岸が絶壁の深い谷になったといわれている。渓谷沿いには遊歩道が整備されており、ここを歩けば表情豊かな渓谷美を堪能することができる。
 私が行ったときは紅葉がはじまりかけていた。紅葉まっ盛りのときはたいへんなにぎわいだそうである。そんなすばらしい渓谷も、八ッ場(やんば)ダムの建設でかなりの部分が水没する。ダムの関連工事はすでにはじまっていた。



吾妻渓谷




■川原湯温泉

 ハイキングの後、川原湯温泉の「養寿(ようじゅ)館」に泊まった。
 温泉街は、JR吾妻線川原湯温泉駅から徒歩約15分ぐらいのところにある。この温泉は約800年前、源頼朝が浅間山麓に狩りに出かけた際に発見し、入浴したといわれている。江戸から昭和の各時代に多くの文人墨客が来湯・滞在している。自然につつまれたたいへん静かな温泉である。大自然や温泉をゆっくりと満喫したい人にとってはうってつけだ。まさに、“ひなびた温泉”そのものという感じである。
 養寿館は老舗の旅館である。大正時代、この宿に泊まった若山牧水は、紀行文で次のように記している。
 「私の泊った養寿館という宿屋は、見るさえ気味の悪い数百間も高くそそり立った断崖の突端のところに建てられていた。そして通された3階の窓をあけると、ツイ眼の下に、しかも随分はるかな下に渓が流れていた。なだらかな山と山の間に一すじ白く瀬の音をあげて流れているのをみると遙かな想いが湧く」
 牧水が記したとおり、客室や展望風呂、露天風呂などから眺める景色はすばらしく、眼下に自然豊かな渓谷を見下ろすことができる。



川原湯温泉の入り口



川原湯温泉街



養寿館の入り口。右の建物は山木館



養寿館




■無料の露天風呂に感激

 温泉街には「王湯(おうゆ)」という名の共同浴場がある。地元の人たちのほか、ハイカーや観光客にも人気があって、この日もたくさんの客が利用していた。王湯の別棟にある露天風呂からは、渓谷の新緑や紅葉を楽しむこともできる。
 温泉街の山の斜面に設けられた無料の露天風呂「聖天(しょうてん)様の露天風呂」もたいへん気に入った。ここは、80度近い温泉を利用し、一般開放されている。無料だが、なかなか立派な露天風呂だ。そのため、地元住民や観光客にたいへん人気がある。
 風呂は木立に囲まれ、三方が開放されているので、森林浴が同時に楽しめる。こんな立派な露天風呂が無料とは。たいへん感激した。



聖天様の露天風呂




■温泉街は災害多発地帯に追いやられる

 八ッ場ダムの建設によって、吾妻渓谷のかなりの部分と川原湯温泉街のすべてが水没する。こんなすばらしい渓谷や温泉がなくなってしまうのかと思うと、胸がふさがれた。
 JR吾妻線も川原湯温泉駅も水没する。山の上のほうでトンネル工事が進められていた。工事が終われば、電車は長いトンネルを走ることになる。今は電車から渓谷を見ることができるが、今後は、電車からは景色がまったく見れなくなるという。
 養寿館の従業員に水没や移転先のことなどをいろいろ聞いたところ、「おじいちゃん(萩原好夫氏)たちが反対をつづけたが、結局、ダムがつくられることになった」「今となってはやむをえない」「移転先でうまくやっていけるかどうかは、まったくわからない」などとさびしそうに語ってくれた。
 川原湯温泉は、水没地の上に移転することになっている。いわゆる“ずり上がり方式”である。しかし、移転予定地は過去に何度も災害が発生した地帯という。上は土砂崩れの恐れが高い急な勾配の山、下は全国どこにもあるような人造湖である。「ダムの人造湖で活性化した水没集落はない」というのが、これまでの全国の常識である。こうしたことから、従業員は先行きを心配しているのだと思う。
 吾妻渓谷の下流には、川幅程度の狭隘部がある。ここにダムをつくれば、ダム本体の堤体積を小さくしても大量の貯水ができる。つまり、ダムを造りやすいという理由だけで、住民の声や感情を無視し、建設省が一方的にダム建設を決めたのである。その結果、住民は危険地帯に追いやられる。“むごい仕打ち”としかいいようがない。


■八ッ場ダムは不必要

 今回のハイキングでは、ダム問題について深く考えさせられた。たくさんの人に親しまれている渓谷や温泉街をつぶし、また、たくさんの住民を苦しめてまでダムをつくる必要があるのか、ということである。
千葉県の土木技術者に問うたところ、次のように語ってくれた。
 「もうダムをつくる時代ではない。ダムは河川環境を確実に悪くする。また、利水という点でもまったく不必要だ。工業用水は余っている。水道用水も、今後は人口減少に向かうので、さらなる投資は必要ない。それで今は、ダム建設の理由として治水が強調されているが、治水にはあまり効果がない。ダム建設よりも、いろいろな地域に遊水池をつくることのほうが効果は大きい。今は、行政もそういう方向に進みつつある。それから、個人的な見解をいえば、治水という点では、流域の開発を抑制したり、涵養林を整備したりすることのほうが重要になっている」
 河川環境や治水などを真面目に考えている土木技術者は、このように考え、政策転換を求めているのだ。
 八ッ場ダムの建設目的をみると、水道用水を茨城・群馬・埼玉・千葉・東京の23区・102市・72町・21村へ、工業用水を群馬・千葉の6市・7町・1村へ供給するとしている。
 ダム建設による新規開発水量は毎秒14.07立方メートルだが、このうち毎秒2.35立方メートルを千葉県に配分する計画である。内訳は、水道用水が毎秒2.12立方メートル、工業用水が毎秒0.23立方メートルである。しかし、千葉県内の工業用水は余っていて、新規投資はまったく必要ない。水道用水も需要が頭打ちになっていて、群馬に大規模ダムをつくる必要はない。
 八ッ場ダムの最大の受水者である東京都も、事情は同じだ。都の水道用水は1971年から横ばいとなっており、最近は減少傾向を示しているという。
 ダムの完成予定年度は2006年度だが、実際の完成は2010年度以降になると予想されている。首都圏の水需要のピークは2010年といわれているので、ピークが過ぎた頃に巨大ダムが完成することになる。建設費は、すでに1000億円余りがつぎこまれ、今後さらに数千億円が投じられる。ダム建設は、天然記念物となっている岩脈や、名勝の吾妻渓谷、そして絶滅が心配されているイヌワシ、オオタカなど貴重な動植物などに大きな影響をあたえる。












■ダム計画の見直しを求める動き

 つまり、このダムは、地域住民の生活や自然・文化を破壊し、河川環境の悪化、関係自治体の財政圧迫をもたらすなど、問題だらけなのである。しかし、ダム計画がもちあがったのは、48年前の1952年である。当時は、ダム建設に反対する声は、「国益」や「公益」の名のもとに押さえつけられていた。
 とはいえ、八ッ場ダムは水没地区住民の激しい反対運動によって着工がずいぶん遅れた。とくに激しく抵抗したのは川原湯温泉の住民で、じつに40年も反対闘争をつづけた。  当時は、都市住民の大きな支援もなく、孤立無援の闘いだった。結局、長く苦しい闘いの末、闘いに疲れて1992年、「絶対反対」から「条件付き賛成」へ運動を方向転換した。
 都市住民がダム建設に疑問の声をあげ、本格的に反対運動に立ち上がるようになったのは、長良川河口堰反対運動からといわれている。もし今、八ッ場ダム計画がもちあがったら、水没地区住民と都市住民の共同行動が比較的簡単に成立し、阻止できたのではないか。渓谷や温泉が多数の首都圏住民に親しまれているので、ものすごい数の都市住民が運動に参加してくれるのではないか。──そんなことを考えた。
 いま、八ッ場ダム計画の見直しを求める新たな運動も起こりつつある。今年3月に開かれた第19回日本環境会議では、同ダム計画の問題点がとりあげられた。また近々、同ダムの必要性などを論議する集会も開かれる。これらの動きに注目するとともに、見直しを求める運動に参加していきたい。ちなみに、アメリカでは、ダムは“ムダで有害”ということで、1980代以降は一つも造られていない。ダム建設から効率的な水利用に政策を転換したのである。
 つけくわえると、千葉県では、小櫃川源流域の七里川渓谷に追原ダムの建設が計画されている。しかし、この計画は、県公共事業監視委員会が中止判断を下したことで、中止に向かいつつある。自然豊かなこの渓谷を守るために奮闘している「小櫃川源流域の自然を守り育む連絡会」(七里川渓谷を守る会)や「追原を歩く会」などのみなさんに感謝したい。

(2000年11月)






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