大津波と原発事故の被災地を見学
〜福島県の1市6町1村〜
中山敏則
2016年の6月1日から2日間、全国自然保護連合事務局の田原廣美さんといっしょに福島県の被災地をみてまわりました。東日本大震災と福島第一原発事故の被災現場です。
案内してくださったのは介護福祉士の大井千加子さんです。大井さんは南相馬市内のアパートで避難生活をされています。
津波の恐ろしさを実感
いろいろなところをまわりました。津波で甚大な被害をうけたり、原発事故で帰宅困難区域となったりしているところです。南相馬市、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町、飯舘村の1市6町1村です。
東日本大震災による福島県内の死者・行方不明者は3851人(2016年3月1現在。消防庁発表)です。内訳は南相馬市1126人、相馬市484人、いわき市468人、浪江町564人、富岡町360人、双葉町159人などとなっています。そのほとんどは津波に巻き込まれたことによる水死です。
かつて住宅が多く集まっていた地域も、いまは跡形がありません。家がぽつんぽつんと残っていますが、どれも1階はめちゃくちゃに破壊されています。現場をみれば津波の恐ろしさがよくわかります。
津波と原発事故の二重被害
福島の人たちは津波と原発事故の二重被害をこうむりました。いまも約10万人が避難生活を強いられています。
帰宅困難区域では、あちこちの道路や建物の入り口に立ち入り禁止の柵や看板が設置されています。警備員がいたるところに立っています。
帰宅困難区域ではあいかわらず泥棒被害がつづいているそうです。泥棒が作業員の格好をしていたら、警備員や警察官は見分けられません。そのため、地元の人たちが自警団をつくってみまわっているとのことです。
大地震で住宅が損壊しても、帰宅困難区域は建て替えや補修が困難です。半壊状態の住宅がいまもそこかしこにあります。
常磐自動車道の空間放射線量は4.1μSv/h
福島第一原発から半径20キロ圏内はいまも空間放射線量が高い値となっています。
常磐自動車道はところどころに空間放射線量が表示されています。福島第一原発の煙突(排気筒)が見える地点では、1時間あたりのマイクロシーベルト(μSv/h)が4.1と表示されていました。
原子力規制委員会が公表している放射線量(μSv/h。2016年6月1日測定)をみると、福島市0.137、仙台市0.041、宇都宮市0.041、水戸市0.053なっています。これらと比較してみると、原発事故被災地の空間放射線量はいまもかなり高いことがわかります。
除染作業がいたるところでおこなわれています。除染でとりのぞいた表土や草木を入れた黒い袋がいたるところの水田に置かれています。除染廃棄物を運ぶトラックや除染作業者が主要道路をひっきりなしに走り回っています。すごい光景です。
津波被害や原発避難によって廃校状態になっている小学校もみました。浪江町立請戸小学校、飯舘村立飯樋小学校、南相馬市立金房小学校です。
九死に一生
大井千加子さんは東日本大震災と原発事故で悪夢のような体験をされました。大津波の襲来では九死に一生を得ました。
大井さんは南相馬市原町区の介護老人保健施設「ヨッシーランド」で介護長をつとめていました。ヨッシーランドは海から約2キロの平地にありました。大震災当日の利用者は約140人、職員は約60人です。
3月11日の午後2時46分、大地震が発生しました。利用者は全員、駐車場に避難しました。誰かが「津波は大丈夫だろうか」と言ったそうです。しかし、市のハザードマップでは、ヨッシーランドは津波の浸水想定区域外になっていました。避難訓練のさい、消防署員も「ここは大丈夫」と言っていたそうです。
大地震が発生したあと、防災無線や避難の放送は聞こえませんでした。強い余震がつづいたので、こわくて施設内には入れません。ですからテレビで流れている情報もわかりません。
万が一に備え、約1キロ内陸の職業能力開発校「福島県立テクノアカデミー浜」に避難することにしました。社有車と私有車に利用者を乗せられるだけ乗せて運びました。駐車場では、お年寄り約60人がベッドや車椅子で2回目以降の車避難を待っていました。
そこへ大津波が押し寄せました。午後3時40分ごろです。津波が平屋の施設をのみ込みました。利用者36人が犠牲になりました。沿岸の利用者宅をたずねた訪問看護職員1人は一時行方不明になり、その後死亡が確認されました。
大井さんも津波にたたきつけられました。しかし必死にベッドにしがみついたため、難をのがれました。津波に襲われたとき、「もうだめだ」とあきらめたそうです。
ヨッシーランドを大津波が襲ったのは、大地震発生から55分ぐらいあとです。大井さんはいまも悔やんでいます。「大地震のあとすぐに職業能力開発校へ避難しはじめたら全員が助かった」と。しかし津波の情報を知ることはできませんでした。しかたありません。
「地獄のようだった」
津波の襲来によって敷地や周辺は修羅場と化しました。倒壊した建物の下敷きになった職員、建物の外にうずたかく積もった大量のガレキと流木、泥に埋まって真っ黒になった人、声にならないうめき声をあげる人、血まみれで震える人、ぬくもりがあるのに動かない体、施設に突き刺さるように入り込んだ車数台の鳴り止まないクラクション、飛び散るスプリンクラーの水、泣きじゃくる若い職員……。大井さんは「まるで地獄のようだった」と話します。
津波が引いたあと、大井さんたちは泥に埋まった人たちを必死に引き上げました。「誰かいませんか! 返事をして! 声を出して!」と叫びました。
そのうちにレスキュー隊がやってきました。倒れている人に手をのばそうとする大井さんに、「その人はもう死んでいる。生きている人を優先して!」とレスキュー隊員が叫びました。その選択の苦しさは自分への怒りでした。
生存者は近くの病院で応急措置をしてもらいました。泥まみれで顔が変形した人、恐怖から無表情でうわごとを繰り返す人、名前を呼んでも返答のない人……。ここも修羅場でした。悲惨な状態がつづきました。
「私たちは国に見捨てられた」
翌12日の午後3時36分、福島第一原発1号機で水素爆発がおきました。建屋が崩壊です。午後6時25分、同原発から20キロ圏内の住民に避難指示がだされました。ヨッシーランドは30キロ圏内です。
3月14日午前11時1分、こんどは3号機で水素爆発です。爆発音が聞こえました。
15日の午前6時14分、2号機も爆発し、建屋が損傷。9時38分、4号機で出火。11時1分、菅首相が会見で「チェルノブイリ事故に次ぐレベル6」と発表。そして、30キロ圏内に屋内退避指示がでました。物資流通が止まりました。食事も薬もオムツもなくなってしまいました。
15日の午後、施設の利用者は連携病院へ移動をはじめました。放射能がふりそそぐなかでの移動でした。
17日、福島市の特別養護老人ホーム「なごみの郷」へ避難することになりました。ヨッシーランドからの避難者を含め30人です。引率者は大井さんただ一人です。
「なごみの郷」までの距離は60キロです。亀裂が走ったり地盤沈下したりした道路を観光バスで移動しました。大井さんと避難者のほかに乗ったのは介護タクシーの運転手と補助1人です。行政も警察も自衛隊もいません。
バスに乗るときは、放射能を浴びないようにと体を覆い、一人ずつ乗せました。歩けない人は体を持ち上げて乗せました。
夜7時ごろ「なごみの郷」に到着です。「私たちは助かった。もう、死と向き合うことはない」と思ったそうです。
大井さんたちは、「なごみの郷」に避難するまでの5日間、高濃度の放射能をあびつづけました。それはあとでわかったことです。
南相馬市にも高濃度の放射能がふりそそぐことはSPEEDI(スピーディ=緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)でわかっていました。ところが、政府がSPEEDIによる放射性物質の拡散予測を公表したのは3月23日です。「なぜすぐに公表しなかったのか」という批判にたいし、政府は「混乱を避けるため」と答えたそうです。
政府の話をきいたとき、大井さんはこう思ったそうです。「私たちは国に見捨てられた」。
南相馬市の帰宅困難区域は解除
大井さんの家族は南相馬市原町区のアパートで避難生活をつづけています。自宅は20キロ圏内にあり、その当時、帰宅困難区域になったからです。
一部が帰宅困難区域となっている南相馬市では、そのほとんどの区域が解除されました。大井さん宅の区域も7月12日に解除です。
大井さん宅も案内していただきました。敷地の除染作業は終わっています。ところが1カ所だけ放射線量のすごく高いところがあります。大井さんはそこを「ホットスポット」と呼んでいます。集水枡の上です。
そこに放射線測定器を置くと値がどんどんあがります。すぐに検出限界値(9.999μSv/h)に達しました。すごい濃度です。
帰宅困難区域が解除になっても、すぐには帰宅できません。生活するためにはいろいろな準備が必要だからです。帰宅したら、大井さんは自宅のそばに介護施設を建てて運営するそうです。
(2016年6月)
津波によって1階がめちゃくちゃに壊れた住宅
1階部分を津波にのみこまれた浪江町立請戸小学校
通行止めになっている帰宅困難区域。随所に警備員が立っている
除染廃棄物を詰めた黒い袋があちこちの水田 に置かれている
集水枡の上に放射線測定器を置いたらすぐに検出限界値(9.999μSv/h)に達した=大井さん宅で
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