変節政治屋の横行と堂本知事
〜伊藤惇夫著『永田町「悪魔の辞典」』を読んで〜
千葉県政研究会
近刊の伊藤惇夫著『永田町「悪魔の辞典」』(文春新書)を読んだ。この本は、政治家、国会、マニュフェスト、二大政党制、無党派層、改革など、「声に出して読んでみるとインチキばかりの政治言葉」を検証したものである。
著者の伊藤氏は、自民党の事務局を経て新進党に移り、以後、太陽党、民政党、民主党の事務局長を歴任した人物である。永田町で約30年間、裏方家業をつづけたため、政界の裏をかなり知っている。
そういう経験や見聞から、今の日本の政治家はウソとごまかしが常識化していると述べている。そして、「『政治家』と呼ばれている種の大半が、実は『政治屋』である」と喝破している。
◆ 約束を破ることは政界の常識 |
ウソとごまかしの常識化については、こんなことを述べている。
- かつて、この国には「武士に二言はない」という言葉が生きていた時代もあった。言葉に責任を待つことがそれなりの地位にあるものの最低限の義務でもあった。なかでも、国の舵取りに直接関与する政治家が発する言葉には、限りない重みと責任が求められていたはずだった。しかし、今の政治家には、そんな重みや責任はみられない。
- 民主党の事務局長をしていたとき、ある候補者から誓約書をもらった。誓約書には、「民主党○○様 次期衆議院選挙に関して、衆議院の解散後においては民主党公認候補者として衆議院選挙に臨むことを誓約致します」との文章があり、最後にその候補者の署名がされていた。ところが、この「候補者」は、衆議院選挙の直前になって突然、民主党から自民党に乗り換えて見事当選を果たし、晴れて永田町の住人になった。
- だが、この程度のことで驚いていたら、政治の世界では生きていけない。念書や誓約書を簡単に反故(ほご)にすることなど、ここでは朝飯前どころか、起きぬけの一杯のコーヒーより以前の「常識」である。
戦前からの政治家で1950年代から60年代にかけて活躍した大野伴睦という人物がいた。保守合同による自民党誕生の立役者の一人で、自民党副総裁をはじめ数々の重職を歴任した「大物」かつ「曲者」の政治家である。だが、この「狸爺(たぬきじじい)」でさえ、時の首相・岸信介に「後継の自民党総裁、首相に指名する」という念書をもらい、それを信じて協力したにもかかわらず、あっさりと反故にされ、首相になれないまま消えていったのは有名な話である。
- 98年11月、自由党幹部で小沢一郎側近のNが、民主党の本部に羽田孜幹事長(当時)を訪ねてきた。Nは羽田に、「(自自連立は)絶対にありません」と言った。しかし、その3日後、小渕恵三と小沢の党首会談で自自連立が決まった。約束を破ること、自分の発言に責任を持たないことは、この世界のいわば伝統であり、常識となっている。
- 永田町のプレイヤー(政治家)として生き残るための資質の一つは、「やぁやぁ、どうも」とにこやかに握手した相手に背中を向けた直後、10秒以内にその相手の悪口を数十個並べられることだ。自民党や民主党の党首選挙が終わった後、勝者と敗者が壇上に上がり、にこやかに握手をしながら党の結束を誓い合う場面を見たことがあるだろう。あの笑顔の裏に、どんな嫉妬と優越感、憎悪が渦巻いているかは説明するまでもない。
- 「板垣死すとも自由は死せず」の板垣退助をはじめ、かつての日本には勇気をもって自ら信ずる道を言葉にし、そのために命を落とした政治家が何人もいる。
だが、今は……。公約を守れなかったことを追及されて、「その程度の公約を守れなくても、たいしたことじゃない」と言い放つ人間が、相変わらず首相の椅子に居座り、その同じ人間がアメリカとの「約束」を守るために自衛隊を戦場に送り出す国、それが日本だ。
- 政治の世界では言葉の重みや、本来の意味が急速に失われつつある。国民もまた言葉を粗末に扱うことに慣れ、政治言葉の嘘やごまかしを見抜こうとする努力を放棄し、簡単に鵜呑みにすることで、無関心という名の放任状態を作り出している。虚やごまかしが通用するとなれば、政治が国民に背を向けた無責任で放埒(ほうらつ)なものになり、政治家たちが勝手放題をするのは当然だろう。
◆ 堂本知事も公約を次々と破っている |
以上の記述を読み、まっさきに思い浮かべたのは、堂本千葉県知事である。 「約束を破ること、自分の発言に責任を持たないことは、この世界のいわば伝統であり、常識となっている」などという指摘は、堂本知事にそっくりあてはまる。
堂本知事は、知事選でブチあげた公約をつぎつぎと破っている。「環境派」「改革派」「市民派」「千葉主権」など、耳に心地よいキャッチフレーズは、すべてウソッパチだ。また、「やぁやぁ、どうも」とにこやかに握手しながら、その笑顔の裏では、相手をいかにだますかなど、さまざまな計略をめぐらしている。
具体的な事例をいくつかあげよう。
◆ コロリと豹変して巨大開発推進 |
堂本知事は知事選に立候補した際、こう表明した。
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「いま、県民が求めているのは、子どもの笑顔があふれる千葉県。県民が誇りを持ち、個性と風格がある千葉県です。いまこそ『金権ちば』を返上し、既成政党と決別する時ではないでしょうか。私はジャーナリストとして30年、国会議員として12年、そして国連など国際的な舞台での経験と実績のすべてを、祖父母の出身地である千葉県で生かしたいと強く思い出馬を決心しました。特に、環境の視点から公共事業はもちろんのこと、あらゆる政策を見直し、女性の感性で、保育や福祉政策を充実したい、と考えています。東京集権から千葉主権への大変革です。うるおいのある、顔の見える千葉県を作るために、私は勇気をもって、体当たりでぶつかります」(2001年2月23日)
http://www5.plala.or.jp/kashiwa-net/doumoto.htm
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「鉄道が通るから大規模開発をするというバブル的発想は根本的に改めることが時代の要請です。鉄道と一体型の大規模開発は凍結し、環境、財政、農業、まちのあり方などの観点から県民と情報を共有して広く議論を行い、勇気を持って計画の根本的な見直しをしていくべきです」
沼田前知事が県政の最重要課題として押し進めた大規模開発「千葉新産業三角構想」(幕張新都心、かずさアカデミアパーク、成田空港関連開発)はそのまま継続である。これに新たに常磐新線沿線開発を加えて「四角構想」を推進中である。市川市民などが強く反対している東京外郭環状道路や首都圏中央連絡自動車道などの大規模高速道路も積極推進の姿勢だ。“第二の東京湾アクアライン”といわれる東京湾口道路(富津─横須賀間)も推進の構えである。選挙公約で述べた「バブル的発想の大規模開発は見直す」はいったい何だったのかと言いたくなる。
常磐新線も、「(鉄道は)そこだけ通さないというわけにはいかない」と述べ、知事就任後すぐに「常磐新線推進本部」を設置するなど積極推進である。破たんが確実視されている同沿線開発も、いけいけどんどんである。
◆ 破たん明白な「かずさアカデミアパーク」を続行 |
「かずさアカデミアパーク」(木更津・君津市)は、1期の造成完了から13年たっている。しかし、150haの企業用地のうち、進出したのはわずか13ha(4件)で、1割に達していない。しがって、現地は草ぼうぼうの空き地だらけである。就業人口は、2000年には1万8000人になる予定だったのが、いまだに600人でしかない。県がこの開発にこれまでつきこんだカネは1000億円を超えている。今後も、毎年30億円以上をつぎこむことにしている。
今年2月の県議会では、三輪由美議員(共産党)がこの問題を追及した。これに対し、堂本知事はこう答えた。
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「たしかに『かずさ』の人口は予定しただけの人数になっていないかもしれません。しかし、だからこそ、これからの21世紀型産業の集積地として、新しくまた、さらに力を加えて国際レベルに通用する『かずさ』にするべく、必死になって今努力をしているところです」(議事録より)
しかし、いくら努力しても、そこに1万8000人の就業人口がはりつくなど、絶対にありえない。堂本知事はこのことを十分に知っていながら、ウソ答弁をしているのである。これは、昔の僧侶が自分も信じていない地獄極楽の説教をするのと同じである。
◆ 八ッ場ダムの負担金倍増にあっさり同意 |
堂本知事は、国土交通省が群馬県長野原町に計画している八ッ場(やんば)ダムについても見直しの必要性を表明していた。「八ッ場ダムを考える会」主催のフォーラムにこんなメッセージを寄せた。
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「約50年前に計画されたダムが見直しもされないということは信じられない話です。どうか実りの多いフォーラムとなりますよう、祈念しております」
昨年12月、千葉県議会の共産党、社民・県民連合、市民ネット・無所属市民の会、水と緑の会の4会派が八ッ場ダム事業からの撤退を求める要望書を堂本知事に提出した。
しかし、堂本知事は、「水をいただく立場の下流県から反対は言いにくい」(朝日新聞、12月11日)とか「千葉県は下流域で水をもらっている立場。ダム建設反対の先頭には立ちにくい。上流から(反対の)動きがあれば」(毎日新聞、同)などと述べ、要望に応じない姿勢を示した。
そして、国交省の要求どおり、千葉県の負担金を183億円から403億円に倍増させる議案を議会に提出し、自民党など賛成多数で成立させた。
「八ッ場ダム(群馬県)建設を容認したことで反発もありますが」との問いにたいしては、いけしゃあしゃあとこう答えている。
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「どちらかというと私はダム造りは反対だが、千葉県は(利根川)最下流域にあり、八ッ場ダムで県民の飲み水を確保しなくてはならない。私が環境運動家やジャーナリストなら反対するかもしれないが、県庁職員が県民ニーズを考えて『やるべきだ』と判断するなら、その立場を引き受ける」(毎日新聞、2004年4月11日)
◆ 思川開発事業の負担金支出も継続 |
栃木県で計画されている思川開発事業(ダム事業)もまったく同じである。藤原信氏(宇都宮大学名誉教授、船橋市在住)が、堂本知事をこう批判している。
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「2001年3月25日に千葉県知事に当選した堂本暁子も、言行不一致である。『思川開発事業を考える流域の会』は2001年4月24日に、堂本千葉県知事に『思川開発事業が千葉県にとって必要不可欠な事業かどうか、賢明な判断を下されますよう要望いたします』という要望書を提出した。これに対して、『お手紙は私が直に拝見いたしました』『いただきましたご意見については、担当部署へ検討するよう指示いたしました』という文書に『思川開発、時代おくれですね』という添え書きのある返書を出しながら、その後まったく対応せず、千葉県はいまでも負担金を支出し続けている」(藤原信『なぜダムはいらないのか』緑風出版)
◆ 「無党派」を恥も外聞もなくかなぐりすて、 自民党にラブコール |
堂本知事は“無党派”を売り物にして知事に当選した。当選後、『無党派革命』(築地書館)という本も刊行した。マスコミもこの“無党派知事”を盛んに持ち上げた。
しかし、知事に就任するとすぐに、知事の座を守るために自民党と手を組んだ。予算編成では、自民党の要求を全面的に受け入れている。県庁人事でも、幹部の8割以上は自民党とつながった人物を登用である。県議会に提出する議案は、すべて自民党に根回しし、了解をとりつけている。自民党が反対するものは提出しない。
だから、自民党幹部は、こうした堂本知事の姿勢を次のように高く評価している。
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「沼田前知事の後継者のような答弁で安堵(あんど)感をもった」(毎日、2001.6.2)
「根幹となる施策は沼田前知事と柱が変わっていない」(産経、2001.10.17)
「(自民党の)新年度予算要望はすべてのんだ。ケンカする理由がない」(読売、2003.4.2)
これに対し、自民党は堂本知事を支持するかどうかを検討中である。今回の参院選で民主党に敗北し、また、ドンの花沢県議が逮捕されたことから、同党は堂本知事を支持するという見方が強まっている。
ともあれ、『無党派革命』という本を刊行しながら、その「無党派」を恥も外聞もなく簡単にかなぐりすてるのである。堂本知事はそんな政治屋である。
◆ “金権千葉”の権化と癒着 |
堂本知事が自民党のなかでもっとも頼りにしたのは花沢三郎県議だった。周知のように、花沢県議は今年7月21日、3000万円の税滞納分を親類の千葉市納税管理課長に免除させたとして逮捕された。
堂本知事は、花沢県議が逮捕された翌日22日の記者会見で、「重要議案などを県議会に提出する際、県は事前に花沢容疑者らに根回しを行っており、こうした関係が同容疑者の政治力の源泉となっていたとも指摘されるが」という質問に対し、こう言い放った。
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「(花沢県議は)最大会派の議員会長というポストに就いていた。責任ある人に話をするのは当然のことだ」(読売・毎日、7月23日)
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「たいへん真摯(しんし)に千葉の将来について考えていた政治家と思っている」(読売・毎日、同)
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「建設業界に強い影響力を持ち、硬軟取り混ぜた巧みな人心収攬(らん)術で県政の最高実力者として君臨した花沢三郎県議。(中略)中央政界にもパイプを持ち、建設業界に強い影響力を発揮していたとされる。側近議員らを重用する一方、従わない人間をどう喝したうえ、徹底的に排除する強面(こわもて)ぶり。“自民党県連最後のボスらしいボス”ともいわれていたが、常にきな臭いうわさがつきまとっていた」(千葉日報、7月22日)
知事は、選挙公約では、「いまこそ『金権ちば』を返上し、既成政党と決別する時ではないでしょうか」とブチあげていた。彼女の公約がいかにデタラメであるかがわかるだろう。
◆ もとから“変節女性政治家” |
知る人ぞ知る、堂本知事はもとから“変節女性政治家”だった。「マドンナ旋風」が吹いた1989年の参議院選挙で社会党から立候補して初当選すると、その後、新党さきがけ→参議院の会→参議院クラブ→無所属の会という具合に、所属会派を転々と渡り歩いた。
堂本知事は「政治家」だが、確固たる理念や信念はもっていない。ただの“権勢欲の塊”である。だから、まるで川藻(かわも)のように流れに身をまかせられるのである。
長野県の田中康夫知事も、堂本知事についてこう述べている。
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「70歳近いのに『朝日』が高齢批判しなかった候補者(笑)は、実は権勢欲の塊だったりして。長野県の副知事になりたいと最初は言ってきてたんだよ、例の特別秘書を通じて。元々は社会党。で、さきがけに移って、自社さ連立時代に野中チェンチェイとも親交を深めた。一説によると、千葉では野中広務が民主党候補と堂本の両者を競わせ、それで自民党候補を浮上させようとした。彼女には夏の参院選を始めとして場所を用意する約束でね」(浅田彰・田中康夫著『憂国呆談リターンズ〜長野が動く、日本が動く』ダイヤモンド社)
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「国会議員をしていた堂本氏には何回も煮え湯を飲まされた。我々が環境破壊の公共事業見直しなどへの対応で堂本議員から了解をとりつけても、翌日には、自民党からの要請でそれを反古(ほご)にされることがたびたびあった。変わり身の早さには呆れるばかりだった。おそらく、知事になってもそういう姿勢は変わらないと思う」
◇ ◇
以上をお読みいただけば、伊藤惇夫氏の指摘が堂本知事にそっくりあてはまることが、少しはおわかりだろう。
伊藤氏は前出書の中で、「今の日本に『次の時代を考え、政治のために生きる人』が一体何人いるだろうか」と問うている。少なくとも、堂本知事がそのような政治家でないことは確かである。
(2004年7月)
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