鳥類の移り変わり
〜南総の半世紀〜
千葉県野鳥の会 鈴木藤藏
県内の南総地域、とくに内陸部のこの半世紀について、姿が見られなくなってしまった種、逆に見られるようになった種、また、見られる時季やその生息環境が変わってしまった種等、鳥類の移り変わりの有様をとりあげてみたい。
1.戦後生活の自然環境への影響(1955年代)
終戦とともに復員・引き揚げが始まり、住宅の建設を中心に戦災の復興事業が始動、社会が活性化し、当然食料や燃料の需要が増した。
貧しい自給自足生活は山野と海川の自然への依存だったが、食料の需要は開墾による耕地面積の拡大となり、建設資材の需要は人工林や竹林の伐採となり、燃料としての薪炭等の需要もまた雑木林の伐採となった。
これらに伴って明るい山野(いわゆる裸山)が多くなり、さらに耕地を広め、農林道を作った明るい自然環境の里山を好むキジやホオジロが増えた。水辺から丘陵・台地に広がる耕地は、ウズラ・シギ類・キジバト・ツバメ・ツグミ類・ホオジロ類・スズメなどの好環境となった。耕地の用水は、川や堰・水路がきちんと管理されたため、カモ類の生息環境の保全につながり、水田にはタマシギやクサシギ・タシギが普通に見られるようになった。
丘陵奥深く入り込んだ谷津田は、魚類のほか水生生物・両生類・爬(は)虫類・昆虫類等が多く、したがってサシバやノスリ、フクロウ・カワセミ・セキレイ類などの鳥類はもちろん、哺乳類(獣類)の絶好の生息場となり、今と比べてみると、自然な食物網が成り立ち、それが鳥類の生息環境としても最良の時代であったように思われる。そして、それらすべての動植物が食料源となって人々の生活を助けたのである。
この時期の目立った特徴は、
- ヤマドリの減少、それに一時増えたキジ(コウライキジやその交雑種も一時期みられた)が減り始め、一部にキジの養殖放鳥始まる。
- 帰化種コジュケイの出現(1960年代から。65年ころから一般に目につく)。
- キジバトの冬鳥から留鳥化。コジュケイ出現より遅い1960年以降で、それまでは11月中旬に姿を見せていた。
2.復興から開発へ(1965年代から)
南総の里山は、人と動植物との良好な共存関係から、狩猟者の増加、農村の機械化、耕地目的以外の開発、という生物にとっては危険な時代へと移りだした。
役牛に代わり耕運機が出始め、自動車が普及し、耕地と農道・川・水路の整備・機械化が進み始めると、水田は、田植え前から稲の穂が出るまで以外は乾田化したため、ここでまず、水を貯えた耕地(特に湿由)と水路を生活の場とする水辺の鳥類に影響が出た。
その耕地や草地、水辺環境を生息場とする種が減り、あわせて化学肥料と農薬類の普及で、鳥類の餌と健康に影響がではじめ、生息に危機がおとずれた。
ツバメは、農村の過疎化を危険と判断して街や都市へと移っていった。このように里山の環境が変化しはじめ、鳥類にとって生息環境の悪化、生息地の減少という厳しい時代がやってきた。
この時期の特徴は、
- サギ類(それまではゴイサギだけ)の出現。ゴイサギ以外のサギ類が目につくようになる。開けた耕地や海岸に近い地域では、白色のサギ類・アマサギが見られた。
- オシドリの減少。それまでも丘陵部のカモ類は、主としてオシドリ・マガモ・力ルガモ・コガモの4種で、夏季のオシドリとカルガモは少なかったが、それがさらに減少する。
- キンクロハジロとススガモの出現。堰やダムに来るようになる。
- ウズラの減少。1965年ころから急激に減少、1975年ころからはまったく見られない。一時期、養殖放鳥されたこともあった。
- 主として耕地のタマシギ・コチドリ・イカルチドリ・クサシギ・タシギの減少。湿田の減少で、限られた場所でしか見られなくなる。
- ノスリ・サシバの減少。谷津田の耕作放棄、荒廃と伐採林の減少によると思われる。
- アオバズクの減少。
- 冬季のヒバリの減少。造成地草地では見られるので、ムギ畑等の畑の減少によると思われる。
- ツバメの減少。農村の過疎化、カラス類の進出
- ヒヨドリの冬鳥からの留鳥化(1970年ころから)
- ホオアカとカシラダカの減少。ホオアカは現在はほとんど見られない。
3.耕作放棄田の増加と森林の放置(1975年ころから)
農村の過疎化はさらに進行、稲作・畑作の減少、谷津田から始まった耕作放棄の増加は、森林の手入れ不足・山林放置とつながり、里山の荒廃が進み、明るい山林が減り、暗い山林へと変遷して、今日のいわゆるタケ・ササ類と、つる植物の繁茂となり、アオジやウグイスが里山の主になり、そのウグイスに托卵するホトトギスの甲高い声が聞かれるようになった。
この時期の特徴は、
- ヤマドリの養殖放鳥(1971年から)。キジは養殖放鳥継続により増加。
- ホトトギスの出現。1975年ごろからで、大正年間の記録はあるが、戦後それまではまったく声が聞かれなかった。
- キセキレイ・ハクセキレイ・セグロセキレイの冬鳥からの留鳥化(1980年以降)。
- ヒメアマツバメ(留鳥)とコシアカツバメ(夏鳥)の出現。房総沿岸部で繁殖。
- ウグイスの増加。ホオジロに代わり、身近なササや低木に営巣するようになる。
- オオヨシキリが目につく。耕作放棄田がヨシ原化したため。
- メジロがより身近な鳥となる。周年屋敷等で見られ、道路沿いや庭など身近でさえずり、営巣するようになる。
4.現在(1989年以降)
谷津田の荒廃による籔状化、山林を伐採しないことによる照葉樹の成長により、暗く湿度の高い山林に移行した。
しかも、獣類に踏みつけられるため林床植物が少ないという環境によるものか、今では、アオバト・トラツグミ(県内一部留鳥)などがこれまでより目につくようになり、オオルリ・キビタキなどを代表とする中小型の夏鳥も見られる機会が増えた。 コゲラ・エナガ・ヤマガラ・シジュウカラなどが、農家ばかりか一般住宅の屋敷から住宅地、街中まで来ることが多く、山の鳥が人里の身近な鳥となっている。
さらに、その里山にカワウの出現があり、数も多くなり目につく。東京湾側から姿を見せ始めてダム・堰・川に現れ、ご存じのとおり房総丘陵を横断して、外房方面の漁港にも進出したかと思うと、今では繁殖期を除いて夷隅川下流域にねぐらを持つようになっている。
最後に、鳥類ばかりでなく、山林ではマツ類の枯死によるニホンリスの極端な減少、樹木を伐採せず手入れをしないことに起因するものとして、低木や草本類などの減少によるノウサギの休耕由や集落への進出が見られる。
また、ダニ類・ヤマビルからテン・ニホンザル・ニホンジカが生息域を広げ、ハクビシンからキョン・アライグマの帰化種、県外移入のイノシシ(イノブタを含む)が生息城を広げ各地で問題が生じている。さらに、淡水産巻貝スクミリンゴガイ(ジャンボタニシ)から両生類・魚類まで帰化種や国内移入種が増え、同様の植物とともに南総の里山・自然環境は大きく変化している。
(2005年1月)
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