盤洲干潟と上総博物館で木更津市の地域おこしを

新井博行



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 盤洲(ばんず)干潟を擁する木更津市は、東京湾アクアライン(横断道路)の開通以降、地域経済が沈没状態です。


●木更津市の経済は沈没

 東京湾アクアラインは木更津市にとって「夢の架け橋」と言われていました。アクアラインが開通すれば、対岸などから土地を求めてどっと人が来るなどということが盛んにブチあげられていたからです。
 しかし実際には、アクアラインの開通後、買い物客は対岸の横浜市などに奪われてしまい、商圏は37万人から12万人に激減です。JR木更津駅前のそごうや西友などは相次いで撤退です。中心市街地の富士見商店街はすっかりさびれてしまい、「シャッター通り商店街」と呼ばれています。
 また、アクアラインが開通すれば人口が10万人ぐらい増えると見込み、市内のあちこちで土地区画整理事業が進められました。しかし、人口は増えるどころか減り続けています。そのため、区画整理事業は軒並み破綻状態です。
 さらに、アクアライン効果を見込んで、木更津・君津両市の丘陵地域に「かずさアカデミアパーク」という名の先端産業集積地が開発されました。事業者は千葉県です。しかし、ここも進出企業はわずか数社でしかなく、大部分の土地が遊休地となっています。
 開発行政を推し進めた須田勝勇・前木更津市長は借金を重ね、木更津市農協から借り入れた大金を着服したとして業務上横領の疑いで逮捕されました。


●行政は相変わらず大型開発一辺倒

 近刊の『道路の経済学』(講談社現代新書)で、著者の松下文洋氏は、木更津市についてこう書いています。
     「木更津市では、供給過剰で住宅地の地価は全国トップクラスの下落率。商業地の地価も、92年をピークに2005年には14分の1となっています。新宿区の商業地がピーク時に比べて約3分の1であることを考えると、その異常さがわかるでしょう。全国的に景気は下げ止まり、あるいは上向いているともいわれているのに、アクアライン周辺の東京湾岸では、完成後も雇用の減少→所得の減少→売り上げの減少→中心市街地の衰退→地価など資産の低下→さらなる雇用の減少……という悪循環が止まっていないのです」
 しかし、行政(市や県)は、こうした危機的状態を打開する有効な対策をもちあわせていません。「かずさアカデミアパーク」や圏央道(首都圏中央連絡自動車道)、東京湾口道路などを推進するなど、相変わらず大型開発(公共事業)一辺倒です。
 これでは、木更津市のみならず、千葉県全体がお先真っ暗です。


●盤洲干潟は世界に誇れる地域資源

 木更津市を活性化させる道は、地域資源を活用することだと考えます。具体的には、地域の自然と文化を大切にし、それを大きく育み、地域おこしにむすびつけることです。
 木更津市は、盤洲干潟(小櫃川〈おびつがわ〉河口干潟)というすばらしい干潟を擁しています。この干潟は、1400ヘクタールにおよぶ日本最大級の砂質干潟です。現存する干潟では日本屈指の自然景観及び生態系を維持しています。
 この干潟に生息しているキイロホソゴミムシ(ゴミムシ類)は、現在知られている限り、世界でこのへんにしか生息していないと言われています。それほど貴重な自然海岸であり、千葉県が世界に誇れる財産なのです。
 しかし残念なことに、市は、この干潟の価値がわかっていません。環境団体の反対を無視し、隣接地にスパ(複合温泉施設)や高層ホテルを平気で建てさせたりしています。スパの温排水で塩性植物のシオクグやハママツナが消滅しかかっていても、知らんふりです。
 世界遺産ともいうべきすぐれた資源があるのに、それを大切にしたり、活用しないというのは本当にもったいないことです。
 たとえば、大分県の由布院(湯布院)は、地域の自然や景観を大切にし、それを活かすことで、「鄙(ひな)びた田舎のただの温泉地」から全国トップクラスの温泉地に変貌を遂げました。こうしたことを学び、とりいれてほしいと思います。


●木更津市は、北斎と広重が愛した街

 つぎは文化です。木更津市にはすぐれた文化が眠っています。
 たとえば、葛飾北斎と歌川広重(安藤広重)とのかかわりです。ご存知のように、二人は江戸時代の有名な浮世絵師です。木更津市はその二人が愛した場所です。
 盤洲干潟の小櫃川河口一帯は、かつて「畔戸(黒戸)の浦」と呼ばれ、すばらしい景観を誇っていました。広重がそこから富士山を描いたのが富士三十六景「上総黒戸(かずさくろと)の浦」です。この絵は、木更津市大田にある県立上総博物館に収蔵されています。
 北斎が描いた冨嶽三十六景「上総の海路」も、同博物館に収蔵されています。北斎は、47歳の時に木更津を旅した際、絵馬を描いて市内の神社に奉納しました。源頼朝による巻狩りの様子を描いたものです。この肉筆絵馬も上総博物館に保管されています。
 このように、木更津市は、江戸時代の超有名な絵師と深いかかわりをもっています。これをぜひ地域おこしに活かすべきです。


●信州・小布施町の教訓
  〜“文化と歴史があふれた町”に変貌〜

 たとえば、信州の小布施(おぶせ)町は、北斎の置き土産を活かすことで飛躍的な発展を遂げました。
 小布施町は、人口がおよそ1万2000人の小さい町ですが、年間120万もの人が訪れます。そのきっかけは、1976年に北斎館を建設したことです。
 小布施町は、北斎が何度か滞在した町です。滞在中に肉筆画を描きました。これを活かすために北斎館を建てたのです。
 北斎館の建設をきっかけにし、その周辺地区で、昔ながらの風情を生かして歴史ある建築を再生していこうという町並み修景事業が始まりました。修景事業の理念は、「文化と歴史があふれた町」や「行政主導から住民主導型まちづくりへの転換」です。
 北斎館の建設後、町のあちこちに美術館や博物館の建設が相次ぎ、いまでは半径2km以内に民間施設も含め12の文化施設ができています。それぞれの施設は、うまく融合しており、あたかも町全体が一つの美術館であるかのようです。
 こうして、地域おこしを大成功させ、全国トップレベルの魅力的な町をつくりあげました。小布施町の年間来訪者は、修景事業が始まる前は30万人程度でしたが、2001(平成13)年には120万人を突破しました。
 その中核施設は北斎館です。同館の年間入館者数は、1997年の39万人をピークに徐々に減っていますが、いまでも30万超を維持しています。
 先月(6月)中旬、小布施町に行きました。月曜日でしたが、北斎館はたくさんの客でにぎわっていました。
 一方、木更津市にある上総博物館は、北斎の肉筆絵馬などを収蔵しているのに、年間入館者数はわずか2万8000人(2003年度)です。土日でも閑散としています。北斎館とは大違いです。


●木更津市に問われているもの
  〜“自然を大切にし、文化あふれた街”への変身を望む〜

 両館を実際に訪れて比較してみると、その違いの原因は明らかです。
 収蔵している北斎の肉筆画や浮世絵の活用の仕方がまったくちがいます。小布施町の北斎館は、北斎が描いたさまざまな役者絵、美人画、春画、風景画、肉筆などを展示しています。また、北斎のすぐれた業績や生き方、小布施町のとかかわりなどを、映像なども使いながらわかりやすく説明してくれます。知的興奮を与えてくれるのです。
 小布施町は文化の香りがあふれており、もう一度いってみたいと思える町です。また、周りの人にすすめたくなります。小布施町はそんな町なのです。
 木更津市も、とりあえずは北斎や広重の置き土産などを活かし、彼らの力作を収蔵している上総博物館を拠点にして、“文化の街”につくりかえるべきだと思います。
 さらに、盤洲干潟を大切に保全し、ラムサール条約に登録するなど、自然と文化を売り物にすべきです。小布施町のように、それを行政主導ではなく、市民の発想あるいは市民主導で進めれば、きっと地域の活性化が図れるはずです。

 米誌『ニューズウィーク』の日本版(2002年11月6日号)は「不良債権にのみ込まれた街」というタイトルをつけ、木更津市を大きくとりあげました。「バブル経済とともに膨張し、そして破裂した」街などと書いています。
 このまま、“バブルにまみれて破裂した街”で終わるのか、それとも由布院や小布施町のように、地域資源を活用して“自然を大切にし、文化あふれた街”に変身できるのか。──それが、いま大きく問われていると思います。

(2005年7月)   





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