拡大しつづける館山市の残土埋め立て
照葉樹林と水源を守る会 鈴木宇子
初夏6月、シイ、マテバシイの繁る照葉樹の梢はきらきらと光ってまぶしいくらいだ。この時期になると、勢いよく成長してきた若緑の葉が、こうして輝いてみえる。
いま、房総半島南部では、巨大な採石場が周囲の自然とはまったく無関係に地形を壊し続けている。国道127号線をウィークデイに車で走ると、市原から南は、ダンプカーの重なる行進に車の窓はまったく開けられない。そして最近は、平らになってしまった採石場の跡地に、あっという間に新しい造成地ができあがる。建設残土による埋め立てである。
最近見た最も規模の大きいところは、富津市の佐貫から湊にいたる浅間山の大採石跡地への埋め立てである。ここは127号線道路沿いで、最近、急速に埋め立てが進んでいる。また、ここだけにとどまらず、古い採石跡地をねらった大残土埋め立て事業が続出している。豊かな自然の残る谷津田への開発をはじめ、この新事業はとどまることを知らない。
■館山市の二大残土埋め立て地
館山市には、市の南に広がる標高100メートルの丘陵地の尾根をはさんで、北に向かう谷あいと、南西に向かう谷あいの2カ所に大埋め立て地がある。前者は館山市出野尾地区の3.98ヘクタール、後者は館山市佐野地区の10.7ヘクタールで、両者とも20年以前に山砂が採取された跡地である。稜線に立てば、北に館山湾、南に太平洋が見渡され、かって別荘地として一業者が開発したところでもある。そして、佐野地区の埋め立て地の南方向にはゴルフ場が広がる。
山砂採取とゴルフ場によって開発されたこの丘陵地は、その後、館山市が山砂跡地を買い、衛生センターと搬入道路を建設した。この道路は衛生センター専用道路として建設されたにもかかわらず、その後、残土運搬ダンプは堂々とここを使用し続けた。
地元の兜桾伯嚶゙が平成2年8月から残土埋め立てを始めた館山市佐野地区は、館山市でできた残土条例の第1番目の適用例であった。その時、業者は事業面積2.26ヘクタール、埋め立て土量10万立方メートル、期間は平成2年8月より平成8年11月、と申請している。その後、4回、事業期間が延長され、平成9年11月完了予定されていた。ところが、総面積は当初から一つも拡大されず、書類上の総埋め立て土量だけが30万立方メートルとなっていた。実質的に拡大をしていたにもかかわらず、業者はその面積をどこにも届けなかったのである。しかも、実際は届け出を大きく上回る118万立方メートルの残土が無届けで運び込まれていたということが、その後の我々の追及で明らかになった。かくして、この深い谷の最上流部は、住民の知らぬ間に残土の盛土が数十メートル以上にもそびえたつ残土捨て場となっていたのである。
館山市出野尾の残土埋め立て地。写真は埋め立ての始めの
頃で、平成10年に、この左手にさらなる拡大の許可がおりた。
《出野尾地区》
県の森林法にも、また市が第1号適用と胸を張っていた館山市の残土条例にも無届けで繰り広げられていた大残土埋め立て事業は、その後、この山並みの北の谷間に拡大の矛先を向けた。館山市出野尾地区である。
ここは、山砂採取中、昭和48年の大洪水で施工中の山砂が周辺の土砂崩れと共に下流の水田や川や道路を埋め尽くした災害の起ったところである。そのために事業が中断・放棄されていた土地である。市の中心を流れる汐入川の源泉の一つであり、保水地としても重要な地である。今まで、大雨の際源泉下流の岡田地区はしばしば水害に見舞われ、水田に水がかぶった。上流部の開発により、今後、さらなる災害の危険性が考えられる。加えて、この山一帯は、江戸時代から地中の白土層よりとれる細かな粒子の白土を産し、この地に一大産業を生んできた。現在岡田地区の生活道となっている市道は、かつて採掘された白土を運び出したトロッコ道である。この白土坑の跡地というのは炭坑跡地と同じで、地中を何層にも渡って横掘りにしていくので、地中は空洞ばかりである。この空洞に溜まった水が、かつての坑道沿いに清水を運び、この地は大湧水地帯となっている。館山市の水道源の一つがここにあることからも、その水量がわかる。そしてこの空洞はコウモリの絶好のすみかともなっている。今でもユビナガコウモリ、キクガシラコウモリ、モモジロコウモリ、コキクガシラコウモリを見つけることができる。
いずれにしろ、今度の埋め立ては昭和48年の大洪水ですっかりえぐり取られ、すり鉢状の地形になったところに残土を積み立てようというものである。冷静に考えれば、いかに自然の生態系を無視し、構造的にも危険で無謀な計画かがわかる。
地元ではやってほしくないと言う意見があちこちにあった。この事情を知った業者は、段取りよく地元の区長と通じ、業者と区長との間にいつのまにか協定書が印鑑を押すばかりにできあがっていた。さらに、埋め立て予定地内に、これも県への届け出も無しに、広い立派な工事用道路が建設されてしまっていた。運び込む残土は証明書付きで安全だと、区長から地元民は納得させられた。こうして、区長の印鑑が押された協定書ができあがった。館山市の残土条例では、水利権者等の同意が必要であった。しかし、この協定書は土地の埋め立て行為に同意するというもの。後に業者に就職してしまった区長は、業者の意のままであり、市は区長を水利権の代表と平気でみとめた。こうして平成8年6月、館山市は許可をおろしてしまった。そして、この許可直後、前述のような隣接地区の数々の違反が判明することとなる。館山市はその後も搬入土量および土壌、水質等の検査をまったく住民には明瞭にはせず、業者は今日もほしいままに埋め立てを続けている。
《佐野地区》
先に述べた館山市佐野地区の総埋め立て土量が118万立方メートルにわたっていたことが林務課の計算によってわかったのは、無届け残土埋め立て地の事実がわかって1年後であった。佐野地区の埋め立ては、埋め立て総面積の10.8ヘクタール中3ヘクタールの森林法違反のほか、優良農地林地保全特別措置要綱、および市の残土条例違反でもあった。しかし、県は、業者を違反事業者として罰しない。そればかりか、館山市ではいまだにこの違反を違反として認めてさえいない。市は数十メートルの残土の絶壁を「防災工事」と説明しているのだ。これらの残土は、横浜の「みなとみらい21」建設計画地から運ばれたものという。
館山市と業者のいう防災工事とは、次のような次第である。佐野地区では、平成4年に埋立地の周辺で土砂の流出が起こり、地元の水田に被害があった。地元の人は、この被害は残土埋め立てが原因だと市に言った。市が仲介に入って業者と地主と被害者が話し合い、応急措置が行なわれた。これが発端で、防災協定というものが3者でつくられたという。結局、市は、残土条例無視を「防災工事」を行なったとして、以後、現在まで業者擁護の姿勢を貫いている。一方、県も違反の事実を明らかにせず、事実調査という名目を半年も立てていた。その後も、情報公開の資料でみるように、事業上の不利益になるとして肝心な部分は非公開であった。さらに、県林務課はその後、行政指導と称して、@安全防災と、A植栽のためとして、22万立方メートルの残土を運び込ませている。@はあちらこちら埋めていなかった部分を平らにさせ、Aは森林法に抵触している土地の一部にマテバシイとツバキを植えさせた。安全防災のためにやったところは、さらに残土の山を高く盛り上げさせ、植栽で植えられた若木たちは、今、カラカラの残土と草の中であちこち枯れている。これが、県の森林回復指導なのだそうである。
■さらなる出野尾の拡大と千葉県の残土条例
さて、1998年6月、兜桾伯嚶゙は館山市出野尾地区の事業拡大と変更を県の産業廃棄物課に申請した。これは、同年1月に施行された県の残土条例に基づく申請である。今後、大規模な残土埋め立て(3000平方メートル以上)に対しては、県が窓口となる。この新条例は、全国に先がけるものとして千葉県の誇るものである。しかし、この条例が出野尾地区の事業拡大に対し、いかに業者に「貢献」したかをここで述べておきたい。
私たちは、この拡大に対して、以下の点を、県知事、林務課、産業廃棄物課など、県の関係各課との話で訴え続けている。
- 平成8年の事業申請の時には、事業は平成8年より平成12年までの計画として、館山市残士条例及び林地開発に事前協議を出している。その計画が完了もしない前にさらなる拡大というのはおかしい。
- この地はかつて幾度にも渡り災害地となっており、白土坑の問題、急傾斜地であることも含めて、残土埋め立てには構造上、立地上たいへん危険なところである。しかし、我々の2年間におよぶ声をまったく無視し、8月31日、この拡大変更は許可された。
事業計画を完了しないうちに変更拡大し、事実上大規模な拡張をしていく方法がこの業者の手である。事実、佐野地区の違反も、変更と違反を巧みに組み合わせて拡張し続けた結果である。今回は、この業者の方法を県が条例という形で完全に後押しする形となっている。そもそも、この条例が「きれいな土であるならば、谷を埋めようが何をしようが構わない」的千葉県の考え方の上につくられている点に問題がある。このため、どのような地形の上であろうと、画1的安全基準さえ満たしていれば許可してしまうことになる。住民の生活、安全、声はいっさい反映されないように作られているのである。さらに、市の残土条例は地元の同意や声も加味したものであったが、県の残土条例はまったく地元の同意も必要ない。したがって、地元民は今度の拡大をほとんど知らされていない。
この点は、新条例の大きな間違いである。この条例により、事実上、今後、業者が大規模に残土を持ち込もうと思えば、住民はそれを阻止することが不可能になる。
■おわりに
この3年間、すごい行政指導をみてきた。千葉の山は、もう業者のしたいままに破壊されていく。ゆったりと人の良い地元の人々は、今まですっかり長いものに巻かれてきたから、今でも、なにか災害があったら業者が直してくれるだろうと思っている。しかも、先のことはわからないとして、ことの次第を・見まい、聞くまい、話すまい・として暮らしている。それでも、最近、かつて土砂災害のあった上流の山に高い残土の山がそびえてきたのを見て、不安を感じる人も出てきたようだ。自然を守ることは気長なことである。そして、気づいたらいつも取り返しのつかない状態になっている。
残土問題が起こって以来、私は千葉県の行政機関でこの地域の照葉樹とその生態系の特徴を述べ、残土埋め立てがその破壊につながることを強調し続けてきた。しかし、人間以外の生き物について、役所はほとんど拘(かか)わるところなし。自然保護課に出向いたが、その土地に貴重種がいるかどうかが彼らの関心の対象であって、生態系の維持ということなどは問題にまったくならない。残土埋め立てがますます拡大する房総半島の今後を真剣に考えなければいけないと思う。
(1998年10月)
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