沼田眞先生を悼む


戸石四郎



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 日本の自然保護にたいへんな貢献をつづけてこられた、日本自然保護協会会長で千葉県立中央博物館名誉館長の沼田眞さん(84歳)が2001年12月30日に亡くなられました。
 以下は、「銚子市民運動ネットワーク」代表の戸石四郎さん(元千葉県自然保護連合代表)が寄せてくださった追悼文です。





 元旦の新聞を開いて、私は驚愕した。
 沼田眞先生の訃報が報じられていたからである。暮れの30日に亡くなられた、という。
 実は、私たち有志の企画「銚子の自然誌」に先生の序文をお願いし、発刊寸前にあった。暮れには書店に出回り、真っ先に先生にもお目にかけるはずだった。それが日延べを余儀なくされ、お詫びのこ報告を、年賀を兼ねて年末ぎりぎりに投函したばかりだったからである。
 序文の原稿を戴いたのは9月だった。校正の連絡葉書を含め、この本の序文は先生が公表された事実上の絶筆ではないのか。ご遺族にもその経過をご報告し、ご納得のいく処置をしなくては……。そんな想いがまず頭の中を駆けめぐった。
 落ち着くにつれ、先生への思い出が次々に浮かんできた。序文をお願いしたのは、銚子の自然研究に関しての先生の多大なご貢献があったからである。これは序文をはじめ、この本の随所に明らかなので、ここでは繰り返さない。
 私はもとより浅学かつ専門外であって、残念ながら先生から直接ご指導を受け、また親しくしていただいたりした関係ではない。一生物学徒として、その研究業績や著書に接してきたに過ぎない。最初の記憶は若い頃、「生態学方法論(古今書院)」を読んだ深い印象である。先生が、(記憶は正確ではないが)吉良、川奈辺ら当時同じ最前線にあった生態学者らと、生物と環境との弁証法的関係について論戦を交わされた記録などを、関心を持って読んだことを覚えている。
 70年代になって、先生は確か千葉県の自然保護関係の審議会の会長をされていた。私も県内の自然保護運動(県住民運動連絡会)に関わりをもつた。房州の野生猿問題で、東大の研究グループらが先生に申し入れようと、ご自宅へ押しかけることになり、私も同行したことが思い出される。若気の至りで研究者たちがだいぶ失礼な発言をしても、先生は微笑を浮かべウン、ワンと聴いておられた。大人(だいじん)の風格と言おうか。その後も、銚子の自然保護問題でご報告やご相談を持ち込んだり、賀状に毎年ご返信を頂く程度のお付き合いは続いて今日に至った次第である。
 ことここに至り、先生の序文に始まる「銚子の自然誌」をご覧頂けなかったことが申し訳なく、残念至極と言うほかに言葉がない。謹んでご冥福を祈る。

(2002年1月)





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