「敗訴確実でも裁判を起こすべき」を批判する

〜大衆運動否定論の横行を憂う〜


中山敏則



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 「敗訴確実でも裁判を起こすべき」──。最近はこんな論調が目立つ。はっきりいってバカげた主張である。旧日本軍による白兵突撃のくりかえしとおなじだ。大衆運動の否定でもある。なぜこうした愚劣な主張がまかりとおるのか。


「負けても裁判でたたかうべき」

 裁判一辺倒あるいは裁判偏重の運動を提唱するのは、たとえばこんな本である。『最高裁に「安保法」違憲判決を出させる方法』(生田暉雄著、三五館)、『裁判が日本を変える』(同、日本評論社)、『原発訴訟が社会を変える』(河合弘之著、集英社新書)。

 生田氏は『最高裁に「安保法」違憲判決を出させる方法』でこう書いている。
    《行政訴訟や原発のような国家レベルの民事訴訟は、原告側の敗訴になる確率が限りなく100パーセントに近いのです。が、それでも立ち上がることが何よりも大切だと、私は声を大にして強調し続けていきたいと思います。》

    《安保法も同様です。全国で違憲訴訟を起こせば、必ず「違憲」を指摘する裁判官が出てきます。あるいは、判決で敗訴したとしても、判決文の中で問題点を指摘する裁判官もきっといます。》
 かつて日本弁護士連合会の公害対策環境保全委員長をつとめた鈴木堯博(たかひろ)弁護士もおなじことを主張する。氏は、2012年11月16日にひらかれた「公共事業徹底見直しを実現する集会」でこうのべた。
    《日弁連が提案したような公共事業改革基本法をどうやったら実現できるのか。全国各地で裁判をおこす。負けてもねばりづよく裁判でたたかう。それが基本だと思う。》


旧日本軍の銃剣突撃と同じ

 敗訴になる確率が限りなく100パーセントに近くても訴訟を起こすべき。負けても裁判でたたかうことが基本だ──。こんなバカげた話があるだろうか。
 旧日本軍は、機関銃で一斉射撃するアメリカ軍にむかって無謀な銃剣突撃をくりかえした。この突撃で何万、何十万という日本兵が犬死にした。「敗訴確実でも裁判を起こすべき」は、それとおなじである。


江戸時代じゃあるまいし…

 江戸時代の農民は合法的な訴願しか認められなかった。徒党を組むことや一揆を起こすことは禁じられていた。権力者に訴願しても、要求は認められなかった。
    《合法的訴願の手順を経ない強訴徒党をおこなえば、その内容の「理非」にかかわらずその願いは拒否され、その指導者も参加者も処罰さるべきものであった。(中略)だが、こうした訴願は、身分制支配の機構を下から上へと順次にたどって、収奪の当の担当者たちにその温情にすがって歎願するものだから、当然のことながら、ほとんど有効ではありえない。》(安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』平凡社)
 いまは江戸時代とちがう。方法はいくらでもある。運動団体を結成することも自由だ。デモ(示威行動)や集会、街頭宣伝、署名集めなどをくりひろげて世論を味方につけたり、為政者にプレッシャーをかけたりすることもできる。自治体の長を交代させることも、議会を活用することも可能だ。それなのにどうして裁判所(権力機関)への提訴だけをすすめるのか。「江戸時代じゃあるまいし」と言いたくなる。


「裁判だけのほうが楽」

 最近は、なんでもかんでも訴訟をおこすべき、という論調が幅をきかせつつある。その背景には「苦労したくない」という願望があるようだ。
 たとえば、東京都のある区が進めているスーパー堤防建設事業の中止を求める訴訟である。私は集会でこんなことを何回も訴えた。
    「スーパー堤防事業を裁判だけで止めるのはむずかしい。区内のさまざまな団体が結集する共闘組織をつくり、区民宣伝や署名集めなどを旺盛に進める。そして、区民世論を味方につけて区長を交代させることが必要だ。区長がスーパー堤防を中止すると言えば、それで止まる。大型公共事業や原発建設を中止させたところは、そういう運動をやっている。三番瀬埋め立て反対運動はそのひとつだ。日本では34カ所で原発建設を中止させたが、裁判で中止させたところはひとつもない」
 ところが、私の提言は無視である。あいかわらず裁判一本槍の運動がつづいている。それも敗訴つづきである。中心メンバーのひとりに「なぜ裁判だけなの?」と聞いたら、こんな答えがかえってきた。「中山さんが提案しているような活動をやったら苦労する」。
 ようするに「裁判だけのほうが楽」ということである。弁護士にまかせればいいからだ。これにはア然である。それで勝てるのなら市民運動は必要ない。


弁護士はビジネスとして訴訟を引き受ける

 前述の生田暉雄氏、河合弘之氏、鈴木堯博氏はいずれも弁護士である。この人たちはなぜ、裁判一辺倒あるいは裁判偏重の運動をすすめるのか。こんな指摘がある。
    「弁護士の多くはビジネス(仕事)として訴訟を引き受ける。だから、裁判で負けても弁護士は困らない。敗訴の責任も負わない。負けたら『裁判官が悪い』と言えばいい」

    「さらに、裁判では弁護士が主役になる。大勢の人が傍聴する法廷で原告側弁護士は一方的な意見陳述ができる。行政訴訟は書面のやりとりがすべてなので、行政側は意見陳述をしない。反対尋問もしない。だから口頭弁論は原告側弁護士の独壇場だ。住民や市民は“観客”となる」



主戦場は法廷外にある

 念のためにいえば、すべての弁護士が生田氏のようなことを主張しているわけではない。たとえば鎌倉広町の森を守る運動では、大木章八弁護士も大奮闘した。大木弁護士は、自治会を基盤とする住民運動を提案した。そして「鎌倉の自然を守る連合会」の事務局長を引き受けて住民運動(大衆運動)をリードした。
 いくつもの訴訟で勝利した実績をもつ馬奈木昭雄弁護士はこう強調している。
「勝負は法廷の中では決まらない。たたかいの主戦場は法廷の外にある」「広く人びとに訴え、国民世論を力にすべき」「弁護士は、どういう裁判をするのか、あるいは裁判をしないで運動で立ち向かうのか、を考えなければならない」と。


若者や韓国人に笑われるぞ!

 昨年の安保法案反対運動では、学生団体のシールズ(SEALDs)が大活躍した。国会前でデモをつづけ、大きな影響を与えた。私はシールズのメンバーと何回か話したことがある。かれらは裁判偏重の運動を否定していた。
 韓国ではいま、朴槿恵(パク・クネ)大統領の退陣を求めて大規模なデモがつづいている。何十万人とか100万人以上が参加している。このデモを見にいったシールズの元メンバー、矢部真太さん(24)は「デモで政治が変わる」とのべている(『東京新聞』11月30日夕刊)。
 「朴大統領を退陣させるために裁判を起こすべき」と言ったら、シールズのメンバーや韓国の国民に笑われるだろう。

(2016年12月)










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