房総の自然


都市部の貴重な自然「加曽利貝塚」
 

文・写真 田中雅康(写真家)


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 加曽利貝塚は、千葉市中央部から東北に6キロほどさかのぼった台地にあり、いまから約7500年前の縄文早期の終りから、約2500年前の縄文晩期の前半まで5000年間続いた縄文遺跡として知られています。南北に2つある馬蹄形の貝塚は日本最大級といわれ、国の史跡にも指定されています。
 ここはいま公園として整備されていますが、これまで幾度となく開発の危機に見舞われました。しかし遺跡保存を求める市民や考古学関係者の努力によって破壊をまぬがれ、貴重な遺跡とともに、縄文時代の人たちの生活の場である広範なエリアが緑地として保存されました。
 しかし、公園の周囲は集合住宅や民家が迫っていることからわかるように、もしここに遺跡がなかったら、あるいは遺跡があったとしても、保存を求める運動がなかったら、たぶん、いま見るような緑地は残らなかったに違いありません。その意味で、この緑地は貝塚によって生き残ることができた貴重な草原といえるでしょう。
 新潟大学名誉教授で考古学者の甘槽健氏は、かつて、遺跡の保存が緑地の保存につながる、と両者の関連について述べたことがありますが、加曽利貝塚はその好例です。
 


●草原を彩る花ばな
 
 貝塚周辺にはクリ、コナラ、クヌギなど雑木林やむかしの地形が残っており、古代遺跡の学習とともに、自然環境の学習ができる公園として整備されています。
 しかし、貝塚の草原の豊かさについては意外に知られていません。
 ここでは、緑地全域が自然のままの草原になっています。そのため市内の他の場所ではほとんど見ることができない野の花も見ることができます。都市化が進むなかで、このような自然の状態で残る草原が少なくなっているだけに、加曽利貝塚の草原は貴重です。
 南貝塚について、以前、植生調査が行なわれ、66科178種の植物が確認されています。博物館は近年、この草原でみられる草花の写真を展示するなど、貝塚の自然の豊かさを知ってもらう企画を実施しています。
 写真展に展示されたものや、私が確認した草花をあげてみると、
 春から夏にかけてスミレ、キジムシロ、ジュウニヒトエ、ヒトリシズカ、アマドコロ、ホウチャクソウ、キンラン、ギンラン、レンリソウ、ノアザミ、タツナミソウ、ツルカコソウ、クサボケ、ナワシロイチゴ、ネジリバナ、ノカンゾウ、ヤマユリ、キツネノカミソリ、カワラナデシコ、タケニグサ、スズサイコ、ウツボグサなど、夏から秋にかけてはアキノタムラソウ、クサフジ、ガガイモ、ノコンギク、ヒガンバナ、ツリガネニンジン、ワレモコウ、オミナエシ、タチフウロフウロ、ナンテンハギ、アキのキリンソウ、コシオガマ、リンドウなどがあります。
 これら花の中には、いま急激に数を減らし、絶滅が心配されている貴重な植物が含まれています。
 

守っていきたい草原の草花
 


●自然の素晴らしさを知る
 
 私は数年前から、たびたび草原を訪れては、可憐な野の花にカメラを向けてきました。その度に、この緑地がかけがえのない場所であると思うのです。そして、いつまでも花たちが咲くことができる草原であってほしいと願っています。
 写真展示を通じ、私はこの草原の魅力を多くの人に知ってほしいと思っています。しかしその一方で、知られることで草原が荒れ、盗掘の心配が増することも否定できません。この問題をどう考えたら良いのでしょうか。
 何から自然を守るにしても、まず何よりその自然の良さ、素晴らしさを知ることが自然保護の出発点だと思います。その意味で、「知らせる」「知る行為」がもっとなくてはならないと考えます。私は、写真を通じ、その一端を担えればと思っています。
 
 


●どうなった「縄文の森と水辺」基本構想
 
 ここの緑地は、いまのような自然のままの状態で残しておくのがよい。しかし、この公園全体についていえば、このままでいいかといえばそうではありません。縄文人が東京湾と行き来に利用したであろう坂月川は、いま、上流部の宅地化で悪臭漂うドブ川と化し、縄文人も逃げ出してしまうであろうような劣悪な状態になっています。
 そこでこの公園を愛し、関心をよせてきた一市民として、千葉市公園緑地部が1987年11月に発表した「縄文の森と水辺」基本構想に若干ふれておきます。
 基本構想によると、加曽利貝塚を中心に、わきを流れる坂月川と対岸の台地を含む53.5ヘクタール(東京・後楽園球場のグランドの約45倍)を整備し、古代植物園や縄文花木園、土器工房、縄文の森見本樹林、湿性植物園、キャンプ場などをつくり、自然に親しみながら縄文文化に触れられる世界的にも珍しい野外の総合博物館にするというものでした。
 この計画の目的には、「世界的にも有名な縄文史跡である加曽利貝塚とその周辺樹林地及び水辺としての坂月川を対象に都市の緑と水辺環境の保全と創出、遺跡環境の保存と整備を計るものであり、『縄文の森と水辺』を基本テーマに人々が歴史の息吹を感じ、古代を坊沸させるような緑と水辺の空間の創造を図ること」がうたわれています。
 この構想は、1990年に基本計画を策定し、91年から5ヶ年計画で事業に着手することになっていました。しかし、基本構想の発表からすでに10年以上が経っています。当初の予定でいけば、とうに公園は完成しているはずですが、その後この構想がどうなっているのかも明らかにされていません。
 「自然地形や植性の縄文期環境の保全に十分な配慮を払いながら」この構想が実現すれば、それは市民の文化的欲求にも合致するものです。
 市民の声を大きくして、お蔵入りになっているこの構想を復活させることは、いまある自然環境を守るというだけでなく、都市近郊緑地の広域的な保存の面からも検討に値するテーマです。市民サイドで積極的な論議が行われることを期待しています。
 

豊かな自然が残る加曽利貝塚の草原




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