常磐新線・巨大開発の根本的見直しを求めて

〜オオタカも人も住み続けられるまちづくりへ〜

住みよい流山をつくる会 会長  林 計 男



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1.苦境に立つ常磐新線

 1999年10月23日付け「日経」夕刊の一面トップ記事は、常磐新線など首都圏の鉄道新線計画が苦境に陥っている、と以下のとおり大きく報じた。
 沿線開発の遅れや建設費の膨脹で、2005年度の開業を目指して建設中の常磐新線では、同路線を運行する第三セクター(首都圏新都市鉄道株式会社)が実施した第三者割当融資が予定額(70億円)を10億円下回った。200社近くに協力を求めたが、金融機関のうち半数程度が出資を見送った。
 同線の乗客目標が開業時点で1日32万7000人。住宅の東京都心部への回帰現象が強まり、沿線開発が進まない中で、金融機関の間では採算性を疑問視する声が広がっている。三セクは来年度、改めて増資する計画だが、その際に収支見通しや資金計画の見直しを迫られるのは必至だ。金融機関が収益性を重視する姿勢を強める中、三セクへの追加支援を迫られる自治体も相次いでいる。財政難の自治体にとって鉄道新線は重い負担になっている。92年に開業した千葉急行電鉄は利用客の伸び悩みで開業後わずか6年で破綻、京成電鉄に98年10月、営業権を譲渡した。他の新線計画も自治体の追加支援が途絶えればこの二の舞になりかねない情勢だ。


2.無駄づかい公共事業

 東京・秋葉原と茨城・つくば間58.3キロを20の駅、45分で結ぶ常磐新線は、鉄道建設との一体型特定土地区画整理で、宅地を大規模に開発、新しい人口を吸収するバブル期の計画である。こうした性格から、常磐新線沿線整備事業は、空前の地方財政危機の元凶、各地で破綻している無駄づかい公共事業の典型となっている。
 同事業は、後に述べる「宅鉄法」適用第1号の国家的プロジェクトで、鉄道建設費だけで1兆500億円、経済波及効果26兆円といわれる。
 1983年、中曽根首相は都市開発の規制緩和「アーバン・ルネッサンス」(都市の再生)を提唱、住宅建設促進、都市の高度利用のキーワードになった。中曽根首相の「民活・規制緩和」路線は、日米構造協議による内需拡大策とされた。「民活」とは、都市計画を金儲けの場としてゼネコン・大企業に提供すること、「規制緩和」とは、市民犠牲の開発の自由を許すことだった。
 こうした政府の政策を背景に、常磐新線は通勤時間帯の混雑率250%以上のJR常磐線の混雑解消策として、沿線住民の熱い期待を背景に、1985年、運輸政策審議会答申「東京圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画」によって、国策として浮上した。


3.ゼネコン奉仕型開発

 1989年、「大都市地域における宅地開発及び鉄道建設整備の一体的推進に関する特別措置法」(宅鉄法)によって、常磐新線建設と大量の住宅地の供給、大規模開発を一体的にすすめる手法がもちこまれたことで、計画が市民要求とはかけはなれた、市民犠牲・自然破壊を伴うゼネコン・大企業奉仕型公共事業となった。
 「宅鉄法」の指定する重点地域では、鉄道建設との一体型特定土地区画整理事業を行い、新たな乗客を確保し鉄道の経営を支える。新たな乗客を確保して収益をあげる第三セクターによる新線計画は、鉄道建設との一体型巨大開発であって、この段階で既に、JR常磐線の混雑緩和策という触れ込みは、単なる口実となった。
 1991年、東京、埼玉、千葉、茨城の一都三県が、宅鉄法に基づく鉄道整備と沿線整備事業の基本計画を策定した。
 計画では、沿線1都3県と12市区町村の関係自治体に、財政負担の大部分が押しつけられる。国は無利子貸付けのみで、全く財政負担をせず、計画によって金儲けにありつくゼネコン・大企業も応分の負担をしない。
 常磐新線推進勢力の結集体「常磐新線プロジェクト推進協議会」に属するゼネコン・大企業は200社を超える。しかし、彼らは自らの利潤追求に急で、応分の出資金を負担していない。「ルールなき資本主義」といわれるが、余りにも露骨である。
 当初の予定より4年遅れの1994年10月、常磐新線は着工された。着工当時は、2000年開業の予定だったが、運輸省と第三セクター・首都圏新都市鉄道株式会社は、1996年、開業を2005年に変更し、建設事業費を、8000億円から1兆500億円に増額した。
 関係12市区町村は、1991年のバブル崩壊後も、住民の批判の強まりを考慮に入れず、国と県のいいなりで、巨大開発を推進している。
 こうした行政のあり方への批判の強まりは、最近の各種選挙で「開発会社」化した自治体行政の福祉、暮らし優先への転換を主張する候補者や政党・会派への支持票の増大として表れている。


4.自治体の無責任な巨大開発志向

 宅鉄法による沿線の一体型区画整理による開発面積は、流山市640ヘクタール、柏市450ヘクタールで、千葉県で1090ヘクタールに達する。
 これに加えて、流山市は新川耕地有効活用計画240ヘクタールを明らかにした。これは、1999年統一地方選の流山で最大の争点になった、大規模ごみ処分場建設を核とする常磐自動車道流山インターチェンジ周辺90ヘクタール開発の規模を一気に拡大し、現在の緑豊かな田園を破壊する計画である。また、柏市では常磐自動車道周辺900ヘクタール、利根川リバーフロント380ヘクタール開発計画が公表されている。自治体財政の破綻を眼中に置かない、無責任極まる巨大開発志向といわざるをえない。
 柏・流山は東京とつくばの中間点にある。柏市内を貫く国道16号線で見ると、柏は横浜・川崎、立川・八王子、大宮・浦和、千葉と業務核都市が並び、柏・流山は大宮・浦和と千葉との中間点にある。都心から30キロ圏内に業務核都市(環状業務集積軸)を形成するという国の方針から、かっこうの位置にある。
 1994年、柏市は、東葛飾北部の新都心核地区整備地域を柏・流山に加え、松戸、我孫子、野田等を含めた東葛飾北部地域の都市機能・基盤整備構想を提唱した。
 1997年、柏市「北部地域整備都市計画方針」は、JR柏駅の乗降客数を、常磐新線開業後一・五倍になるとしている。常磐線混雑緩和策というキャッチフレーズを自らの公式文書で否定したことになる。


5.市民要求の第1位は環境保全

 常磐新線沿線は自然に恵まれている。流山市、柏市とも、市民要求の第1位は、環境の保全である。
 流山の市野谷(いちのや)の森には、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」(種の保存法)が、「希少野生動植物種」として指定するオオタカの生息が確認され、柏の小袋(こんぶくろ)池には、ヌマガヤ、ズミ等の貴重な植物が自生し、千葉県環境会議も、環境への配慮を提言した。また、柏市北部は千葉県でも有数の蔬菜の産地である。
 常磐新線は、市野谷(いちのや)を高架鉄道で東西に横切り、幅員40メートルの巨大道路と交差する。市民は、常磐新線の地下化で、地表の恵まれた環境の保全を要求している。
 現在の、森と畑と閑静な住宅地を、流山新市街地地区だけでも13本の都市計画道路(最大幅40メートル)が網の目のようにはりめぐらされ、環境を著しく破壊する。とりわけ、埼玉から茨城へ向かう都市軸道路3・2・25線(幅員32メートル)は常磐自動車道と平行して走る。生活道路の整備を期待する市民要求とかけはなれた巨大道路網計画は、都市間を結ぶ産業道路網計画であり、公害をまき散らす市民不在のまちこわしである。
 計画に係る環境アセスメントは、第三者機関による公正な評価ではなく、代替案の検討もなく、最初から、開発にお墨付きを与える、いわゆる「アワセメント」そのものである。流山で8500通、柏市で1万2000通の意見書が鋭い市民の批判と怒りを表明、流山市の公聴会では、開発推進勢力は、賛成意見を全く組織できなかった。


6.あせらず、あきず、あきらめず

 1992年2月、「常磐新線・大規模開発による市民犠牲・自然破壊は許せません」を合言葉に、住みよい流山をつくる会が発足した。専門家の協力を得て、学習会を中心に団結を固め、ニュース発行、街頭宣伝、議会請願、関係省庁、自治体、公団との交渉など多彩な運動を展開し、広範な市民世論に訴えてきた。
 住みよい流山をつくる会と柏市民の会など、柏・流山からはじまった常磐新線・巨大開発の根本的見直しを求める市民運動は、東京・足立区や埼玉・三郷、茨城・伊奈、谷和原(やわら)、つくば等沿線各地との連携を深め、「常磐新線・大規模開発による市民犠牲・自然破壊は許せません」「緑ときれいな空気を奪うな」を共通のスローガンに、1993年から96年まで4回の1都3県市民集会を(流山で3回、柏で1回)開催、延べ3000名にのぼる市民を一堂にあつめ、集会を成功させ、採択されたアピールを要求化し、関係省庁、自治体と交渉を行なってきた。
 柏・流山の常磐新線沿線地域には、「巨大開発反対」「住民犠牲の区画整理反対」「常磐新線を地下化せよ」「高架鉄道によるまちの分断反対」「行政は開発業者の手先か」「優良農地を奪うな」「土地のただ取りは許さない」「2本の幹線道路はいらない」等のステッカー、立看板が目立つ。
 柏・流山の常磐新線沿線地域の住民運動は、平均40%の減歩(土地の無償提供)という市民犠牲を許さない運動として、区域除外要求を繰り返し、流山では駒木地域60ヘクタール、新市街地既成4団地12.9ヘクタールを除外させた。しかし、市民の要求する計画の根本的見直しからは程遠く、流山・日立団地や、柏北部では区域除外要求を繰り返し提出し、文字通りの根本的見直しを要求し、「あせらず、あきず、あきらめず」を合言葉にたたかってきた。


7.都市計画決定の取消しを要求

 1998年1月、流山の常磐新線関連都市計画決定が市民合意のないまま強行され、住みよい流山をつくる会は、同年3月、計画取消しを要求し、建設大臣に行政不服審査法に基づく審査請求を提出した。
 つくば市長は、市民及び市議会の要求に応えて、1998年9月8日、市税収入の伸び悩みと義務的経費の人件費、扶助費、公債費が増加、小中学校の大規模修繕が目前に迫っているとして、茨城県知事に財政負担の要望書を提出した。先買いした土地の値下がりで、事業の推進が赤字の累積につながるという財政事情は、関係自治体に共通している。
 1998年9月23日、住みよい流山をつくる会が提出した、常磐新線関連情報公開の徹底と、市長・市議会によるチェック機能の確立を求める陳情が、流山市議会で採択された。従来、開発推進側だった保守会派が、陳情採択に賛成したのは、地方財政の危機的状況の打開を求める市民の批判の強まりの反映である。


8.全線開業が困難に

 1998年10月12日、「朝日」は、常磐新線と交差するローカル線・総武流山電鉄は、常磐新線開通によって乗客が4割減少(流山市調査)するとして、営業補償を要求、社長同士によるトップ会談が決裂、事務レベルの接触も中断したままになっており、2005年の全線開業が困難になり、全線開業で1日33万人の乗客を見込む計画が、秋葉原L千葉・南流山間の部分開通となれば、約16万人が影響を受けると首都圏新都市鉄道(株)は見ている、と報じた。
 1999年7月19日の各紙は、「市、県、首都圏新都市鉄道鰍フ3者が総武流山電鉄の新駅設置を提案した」と報じた。しかし、99年9月の定例流山市議会で、市側は、現時点で新駅を設置するというような具体的な協議には至っていないと釈明し、困難な局面が打開されていないことを明らかにしている。

(1999年11月)





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