生物工業と都市環境を考える


千葉県自然保護連合 岩田好宏



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 いま問題になっている環境問題について一つの整理をしてみた。
 私たち人間の特質は、まわりの自然をつくりかえて有用なものにし、それを利用して生活しているところにある。このことを抜きにしては人間として存在できない。この「自然をつくりかえて」というところを、少し細かく分解してみると、一つは、「いままであった自然がなくなった」ということと、「いままでなかった自然が現れた」という二つになる。なくなった自然を「しぜんな自然」、新しく現れた自然を「人工的な自然」といっている。失われた「しぜんな自然」は、さらに「いままであった物質や生物」という面と、「ある地域のしぜんな自然」という面に分けられる。前者の問題は、千葉・市原隣接地域のオオタカの問題がその例であり、後者の代表は三番瀬である。
 「人工的な自然」も二つに分解できる。一つは、「新しい物質・生物の出現」である。ゴミ問題や公害問題の多くはこの例である。新しい生物の出現による問題は、これからの環境問題の中心になるであろう。生物工業といわれている分野からつくり出される遺伝子組換えによる生物やクローンなどである。人間自身もこの対象となっている。多分これからの人間自身・環境の問題としては、もっとも深刻なものになるだろう。ことによると人類の滅亡にもつながるかもしれないほどの重大さを感じる。それは、私たち人間の基盤としての「生きものである」ことがあまり判ってないからである。
 新しく出現して問題を起こしている「人工的な自然」とは、都市環境である。農村環境は、環境としての問題がなかったわけではないが、人々が、みずからのもつ自然力の限界を知っていたから、自然改変を最小限に止め、あとは自然にまかせた。何よりも生きものとその環境を保全することによって、生活が成り立っていた。都市環境はそれとはちがう。自身の知恵と自然力を過信して、問題がおこると、さらに人工化の度合いを強めて解決しようとしてきた。
 都市環境の問題は、これまで緑の自然が失われたことが重視されていた。私は、それと同じくらい重大な問題として、都市環境は、特別の利用目的に合わせてつくられてきたことに最大の問題があると思っている。一つの目的を実現させるような環境は、他のことを目的とした生活を拒否する。そこで、二つ目の目的に合った環境をそれに付け加える。しかし、人間生活が環境に要求していることは、二つだけではない。多目的である。いや多目的という言い方はよくない。いつどのような目的が現れるかわからないという状況に対応できる環境を要求している。都市の人工的な環境が、人間に対して閉鎖的で管理的であるというのは、このことである。環境が人間の可能性を奪っているのである。
 都市環境は、過去から現在までの生活に対応した環境であり、未来に向けての環境ではない。未来の環境とは、特定の目的をもたない環境である。現在の私たちの知恵では予測できない生活と生活からの要求にこたえることのできる環境である。それは自己矛盾というものである。自己矛盾は絶対的な解決ができない。その時々の状況に応じて解決はできるが、そのことがつぎの矛盾を生み出す。都市環境はこうした自己矛盾を明確に自覚しなければならない。

(1999年11月)




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