考えさせられる市原市の環境

〜 大規模な自然破壊が今も進行中 〜

環境問題市原連絡会 片田 勇(文・写真)



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●大きく変貌した房総の風景

 1960年に北海道から出てまいりまして、最初の4年を船橋市、68年までの4年を東京の大田区で、その後、川崎市で約11年暮らし、1979年に市原市民になり、アッと思う間に38年が過ぎてしまいました。
 60年代は安保闘争が盛り上がった時期でしたが、闘争の中で命を落とされた「樺ミチ子さん」のことは、私たちの年代にとって悲しいできごとであると同時に、青春の理想の原形としても忘れられないできごとでした。その頃の船橋,千葉,市原にかけての風景を、今でも時々思い出します。当時の船橋は、現在の「ららぽーと」が建つあたりまで海岸が迫っていました。
 その先の、谷津干潟あたり一帯も遠浅の海岸で、今は、袖ヶ浦と呼ばれている団地のあたりに小さな飛行場があり、そこで、セスナ機を借りてスカイダイビングの練習をしたことが記憶に残っています。当時の空からの眺めとしては、稲毛、幕張はおろか、木更津の手前の袖ケ浦あたりまでの海岸線が遠浅の海で、そこ、ここで、潮干狩りをしている光景が見られました。国道16号線を挟(はさ)んで木更津方向に向かうと、浅間神社や山科鳥類研究所、川鉄の工場群が他を抜いて建物として目立っていたことを覚えています。
 その頃の千葉県の海岸線は、市民の生活の場として、公共性と生産性を備えた生きた海が連なり、磯の香りのする豊かで優しい感じのすばらしいものでした。
 一方、房総半島の内陸部に入ると、貧しくとも生き生きとして働く青年たちの姿が、日常的に見られました。汗の香りとともに朴訥(ぼくとつ)な言葉と、澄んだ目の輝きにひかれて訪ねた村々のことも、田舎者の私にとって故郷に帰ったように暖かい思い出として今も残っています。
 奥清燈から鋸山にかけての山間部にも活き活きとした生活の息吹きがあり、林道や赤道にも人の足跡が絶えないほどに人々のくらしが存在していました。青年時代のワンダーフオーゲルと称する運動の中で、林道を歩き、山中の農家の物置に泊めていただいたり、お米をわけていただいたうえに、お味噌汁を御馳走になったり、数えきれないほどの恩義を感じるのが房総の山々です。
 その時代から約15年後に川崎市から市原市へ引っ越してきました。市原にきて驚いたことは、この街には、東京湾があっても公共の海がないことです。その後、海づり公園などを市につくらせましたが、市民は500円の入場料を払って海を利用しています。
 本来、海とは、市民に開放された公共物であるべきものが、千葉県に限らず日本の海岸線は、その多くが私企業に占拠されてしまっています。そこには、企業こそ、金儲けこそ、第一級の存在であり、市民生活や人の命など二の次だという本音が見えているような気がしてきます。
 総理大臣が預金者保護と言って銀行を税金で助けようとすることも、県知事が「豊かで自然と安全で快適な生活空間を将来に引き継ぐ千葉県」と言うことも、市原市長が「自然との共生」をうたいあげたとしても、国民がほとんど信じなくなっていることの理由が、そのあたりにあるといえるのではないでしょうか。



●自然を大規模に壊す巨大開発  〜千葉・市原丘陵新都市構想〜

 この間の千葉県の変わりようは、筆舌につくせない悲しいばかりの状況といわざるを得ません。
 ゼネコンばかりが儲けに酔いしれたバブルの落とし子ともいうべき、幕張メッセや東京湾横断橋、房総半島を覆いつくそうとでもいえそうなゴルフ場の数。そのどれもが、21世紀の彼方まで県民の負担を強いるうえに、県民の意見など少しも入っていないものばかりです。
 ゼネコン政治の頂点に座る県政のボスたちは、このような愚かな政策に懲りたかと思いきやさにあらず、次から次へと、新たな大規模開発を用意して、この半島を切り刻もうとしております。追原ダムや三番瀬に加え、東京湾口道路、第二幕張メッセ、東京外環道、千葉・市原丘陵新都市構想など、数えあげればきりがないほどの計画です。そのどれもが数百億、数千億、1兆円を超える超大型の開発計画で、これは、開発思考の強い全国のレベルに比べても群を抜いて高いものになります。
 国政や県政に、即、追随する市原市政にあっては、もちろんのこと、この中の主要な部分である千葉・市原丘陵都市構想の重要な担い手となり、市民への加重負担を押しつけようと、必死の構えで計画を推し進めております。
 この計画は、千葉市と市原市にまたがる事業面積1万ヘクタールにもおよぶ巨大開発です。その中の一部である仮称「市津緑の街開発事業」(670ヘクタール)と市東第一地区土地区画整理事業(303.4ヘクタール)が、現在、市原市が進めようとしている開発です。
 これらの開発計画に対し、当初見込みとしては、公的支出(税金)として、国・県の負担が約236億円、市原の負担が約239億円、国の区画整理事業補助金が約90億円の合計約565億円が見込まれています。
 大型公共事業の場合、東京湾アクアラインは、当初約7500億円程度の予定が、完成時の周辺整備費用を含めると約1兆5000億円かかったといわれています。千葉・市原丘陵新都市構想の中にしめる市原地域の比率は、全体の約10%(973.3ヘクタール)ですが、この計画全体の完成までには、1兆円をこえる税金がムダ遣いされる危険性があるわけです。
 また、これらの大型開発につきものの自然破壊の規模も、ほかに類を見ないような巨大なものになります。
 この地域は、房総半島の中央部に位置し、県内最大級の照葉樹林帯が広がり、里山の自然を育む谷津田が幾重にも入り組んだ動植物に対しては最高級の生活環境を提供する、かけがえのない自然環境となっています。
 下の図は開発区域の略図ですが、このように広大な開発に対する需要は、千葉県内はおろか関東一円を調査しても、必要とされているものではありません。
 さらに、千葉県における既設工業団地は、「かずさアカデミアパーク」(利用率十数パーセント)をはじめとして、数十パーセントが遊休の未利用地となっています。  宅地需要の観点からみても、開発が許可される既存宅地が、市原市で約1万5000区画程度、千葉県全体では30万区画程度のものが、利用可能な宅地として空き地のまま放置されております。
 ここで、私たち県民の要望として言えることは、今、千葉県政に求められているのは、新たな開発ではなく、既に県民が暮らしている地域の生活基盤の整備を早急にして欲しい、残り少なくなった自然環境をこれ以上壊さず、保全すべきということではないでしょうか。







●残土と産廃の山に追いかけ廻される

 この間に、自然環境の現地調査をしながら、公共事業の現場で見ることができた、不思議というべきか、恐るべき事実を皆さんにご紹介しておきたいと思います。
 市原市の福増というところには、県の浄水場と市のゴミ焼却場がありますが、立地が山間部であることからか、その周辺は、残土と産廃の山にされています。
 1998年の春、某テレビ局の取材があり、浄水場の屋上からの撮影により業者の不法投棄の現場を確認しようとしましたが、県職員によると、協力したことが業者に知られると何をされるか分からないので、恐ろしくて協力ができないとのことでした。このような状態は、館山市にも銚子市にもあり、長柄町などもふくめて全県に共通するものであるともいえます。
 大型開発現地で驚いた点では、かずさアカデミアパークの現地約300メートルほどのところに十数万トンの産廃が不法投棄されていたり、297号国道沿いに数日にして産廃の山が築かれたりして、腹立たしいばかりです。
 こんなことは千葉県だけのことかと思ったらおお間違いで、この夏、北海道の苫小牧に行きましたが、税金を1800億円も無駄づかいされた苫東開発と併設してつくられた苫小牧新港の公共埠頭の近くには、数キロメートルにわたって本州地方から運び込まれた残土が積み置きされていました。  残土や産廃の問題でも、私たちは、これまでに行政の耳にタコができるほどの苦情を申し入れてきました。しかし、行政は、悪徳業者が怖いと言いつつ、その怖い業者に味方でもしているかのように、違反や不適切な行為がある業者や、その場所はだれが考えても問題と思われる地域に平気で許可を与えています。
 市原市の葉木というところに、アスコツトエンジニヤリングという産廃業者が違反行為で業務停止となり、産廃の山が放置されたままにされていました。その同一の場所に、今度は残土処分場が県から許可され、業者は産廃を残土で覆い隠そうとしています。
 数えあげればきりがない、残土と産廃の山に追い掛け廻されそうな日本列島の中だけに、私たちの心も体も休まる暇はなさそうです。

(1998年10月)




福増浄水場前の残土・産廃の山。残土総量は約30万立方
メートル(高さ約40m、幅500m、奥行き約300m)、面積は
約15ヘクタール。左側の煙突は、ゴミ焼却場のもの。   




市原市海保の加藤建材の自家処分地の産業廃棄物。




市原市上高根地区の残土処分場。
下の集落と農業用水堰を崩落で埋
めつくしそうな状態になっている。 




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