房総の自然


房総丘陵のヤマビル

山中征夫    


 


1 はじめに

 房総丘陵の主陵は、房総半島をほぼ東西に、すなわち東端である太平洋側の「おせんころがし」から内浦山、清澄山、元清澄山、そして、西端である東京湾側の「鋸山」まで連なっています。また、主陵は旧「安房国」と「上総国」の境界でした。主陵の標高は400メートルに達しませんが、地形は細かく複雑で、しかも急峻です。気候は温暖多雨であるため、動植物相は豊かです。また、南房総国定公園、内浦山県民の森、東京大学千葉演習林、県立養老渓谷奥清澄自然公園、天津・清澄山鳥獣保護区(一部特別保護地区を含む)などがあり、この地域の環境保全に役立つとともに、学術研究用、レクリェーション資源としても貴重です。
 ヤマビルが房総丘陵の東に位置する内浦山や清澄山付近のごく限られた地域に生息していることは、古くから知られていました。ところが、1975年頃から徐々に分布が広がり、1986年以降は、これまで生息が確認されていなかった房総丘陵の主陵の北側へも進出をはじめました。今日、ヤマビルは房総丘陵の珍しい動物ではなくなりました。
 ヤマビルの分布が広がれば、吸血被害も多発します。安房郡天津小湊町、鴨川市、君津市黄和田畑、夷隅郡大多喜町などでは、農林業などの野外作業はもとより、地域住民の日常生活、さらには観光客の探勝にも深刻な影響を及ぼしています。今日のこのような事態を誰が予想したでしょうか。まさに、青天の霹靂(へきれき)です。そこで、房総丘陵におけるヤマビルの分布の拡大の要因について考察してみました。


2 ヤマビル概説

 ヤマビル(写真参照)とはどのような動物なのかを簡単に説明します。学名はHaemadipsa zeylanica japonicaで、環形動物門に属し、日本産ヒル類のなかでは代表的な吸血性の陸生種です。分布は、秋田県から鹿児島県の屋久島まで知られています。外部寄生に適した体形は、やや扁平な円筒形で、徳利やボウリングのピンに似ています。体長は、成体で静止時に2〜3センチ、伸長時には4〜6センチになります。体色は赤褐色で、背面に3本の黒い縦線があります。乾燥には弱く、生息場所は主に森林の林床の落葉の下などです。動物の呼気(二酸化炭素)、足音、体温などで寄主の接近を感知すると、落葉の下などから這い出し、前後の吸盤で尺取虫運動を行いながら寄主に近寄り、皮膚に付着します。そして、前吸盤(写真では右側の細い方)の中の口で皮膚に傷をつけ、血液を濃縮しながら吸血前の4〜6倍の体重になるまで吸血します。雌雄同体ですが、産卵には交尾が必要です。産卵後、約1ヶ月で1つの卵のうから子ビル5〜6個体がふ化します。房総丘陵では、4月〜11月が主な活動期です。なお、「野外害虫」、「不快動物」として嫌われていますが、ヤマビルの生活史をはじめ生態については十分に明らかにされていません。

ヤマビルと卵のう



3 房総丘陵におけるヤマビルの分布の拡大の要因

 千葉県のヤマビルについて、現存する資料のなかで最も古い記載は「千葉懸安房郡誌」(千葉懸安房郡教育会、1926年)です。同郡誌には生息場所の地名は明記されていませんが、森林性の陸生動物であることを考えると、たぶん房総丘陵の南側であろうと推測されます。その後の文献、例えば、東洋大学教授の大野正男氏の「千葉県産ヒル類概説」(千葉敬愛短大生物研究会々報7、1975年)では、安房郡天津小湊町の内浦山で生息が確認されています。
 また、本県におけるヤマビルの分布範囲を最初に明らかにしたのは、(財)日本野生生物研究センター(現在の「自然環境研究センター」)の「1988年度千葉県ヤマビル生息状況実態調査中間報告書」です。同報告書と、拙者が房総丘陵の東にある清澄山周辺の東京大学千葉演習林で行った調査(104回日林論、1993年)などを参考にして、房総丘陵におけるヤマビルの分布の推移を図1と図2に示します。
 1980年以前には房総丘陵のごく限られた地域にしか分布していなかったヤマビルが、なぜ短期間にこれほどまでに分布を拡大させたのでしょうか。
 現象面では、ニホンジカが分布を大幅に拡大したのとほぼ同じ時期に、ヤマビルの分布の拡大が認められます。そこで、ヤマビルとニホンジカとの関係について考えてみました。
 元東京慈恵会医科大学教授の吉葉繁雄氏(現在、戸板女子短期大学教授)は、外房南部に蔓延中のヤマビルをバイオハザード(生物災害)と位置づけ、環境医学ならびに衛生動物学的な観点から研究をされています。そのなかで、ヤマビルの寄主動物の種類を免疫学的手法によって明らかにしています(日衛誌44、1989年)。また、千葉県中央博物館の浅田雅彦氏は、1992、1993年に捕獲されたニホンジカの有害獣駆除個体を用いて、ニホンジカに対するヤマビルの寄生状況調査を行っています(千葉中央博自然誌研究報告3、1995年)。
 それらの結果などから、ヤマビルにとってニホンジカは好適な寄主であり、かつ運搬者であることが明らかにされました。そこで、ニホンジカの分布の推移を「千葉県房総半島におけるニホンジカの保護管理に関する調査報告書」(千葉県環境部自然保護課、1991年)から引用して、図1、2に示します。同報告書によると、千葉県下おけるニホンジカの分布の範囲は、1973−74年の調査では東京大学千葉演習林のほぼ南半分から内浦山県民の森にかけての比較的狭い地域で、約40キロ平方メートルです。その後、東西および北側に分布を広げ、1980年には約110キロ平方メートル、そして、1987年には現在とほぼ同じ大きさの約280キロ平方メートルと推定されています。なお、参考として、ニホンジカの推定個体数は1980年に約200個体、1985年に約500個体、1990年に約1700個体です。
 図1、2から、ヤマビルの分布はニホンジカの分布の範囲の内側にあることがわかります。すなわち、ヤマビルの分布の拡大はニホンジカの分布の拡大とほぼ一致して起こっています。ヤマビルの分布の拡大に関与している要因として、人や車に付着しての移動や、大雨の時など落葉に付いて川下に流されたりなどが考えられますが、やはり、ニホンジカとの関係が最も深いと思われます。安房郡天津小湊町四方木の古老の話では、「シカの糞からヒルが湧く」といいます。実際にニホンジカの糞からヤマビルが湧くことはありませんが、ヤマビルとニホンジカとの密接な関係を言いたかったのだと思います。
 



4 おわりに

 手元にある文献などから考察すると、房総丘陵におけるヤマビルの分布の拡大は、ニホンジカの分布の拡大が最も大きな要因と考えられます。ヤマビルの防除やニホンジカによる農林業被害の軽減を考えるうえでは、房総丘陵の森林に依拠して生息しているニホンジカの個体数や分布の範囲を何らかの方法で制限する必要があります。今のところ、天敵のいないニホンジカの「捕食者」の役割は、千葉県の環境部自然保護課が行っています。
 他の山岳・丘陵地から孤立した状態にある房総丘陵において、森林をどう扱うのかは野生動物の保護管理の問題をも含めて極めて重要な問題です。落語の三題話風に考えれば、「ヤマビル〜ニホンジカ〜森林」の「落ち」をどうするか? すなわち、森林が持っている多様な機能を損ねることなく、上手に利用する知恵が求められています。昔から「山のものはすべてが無駄なく、ぐるぐる回っている」と言います。ヤマビル、ニホンジカの個体数の増加や分布の拡大は、必ずしも森林の豊かさを意味しません。人間の行き過ぎた利用によって破壊された森林を回復させ、「捕食者」のいない大型の哺乳類の保護管理を適切に行い、森林の持っている機能を十分に発揮させるような利用ができれば、往時のように、ヤマビルの分布を房総丘陵のごく限られた地域に局限化することも夢ではないと思いますが、如何でしょうか。

(1998年11月)

 
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