★環境保護団体の紹介

 
行徳野鳥観察舎友の会

  〜野鳥がすみよい環境を守り育てる〜

 
 

 
「団体紹介:行徳野鳥観察舎友の会」にもどります

 
 
 


 
●ある初秋の日
 
 「おい、喜べ! タカブシギがいたぞ!」
 観察会から戻ってきたSさんが、上機嫌で図書室に入ってきた。
 そのあとに息せききって帰ってきたTさんは、
 「よかったぁ……!」と言ったきり、言葉が続かない。
 タカブシギは小さなシギの一種で、こげ茶と白の細かい模様が木彫細工を思わせる美しい渡り鳥であるが、近年、首都圏では見る機会がすっかり減ってしまっていた。その鳥が今年も行徳鳥獣保護区にやってきたうえに、定例の観察会で多くの参加者に見てもらえたのだから、みんなが喜ぶのは無理もない。だが、理由はそれだけではない。
 この日、タカブシギがいたのは、今から10年ほど前、「行徳野鳥観察舎友の会」が多くの方の協力を得て造った池だった。
 
 
●行徳鳥獣保護区と行徳野鳥観察舎友の会
 
 行徳野鳥観察舎友の会(以下、友の会)が誕生したのは1979年。行徳野鳥観察舎の利用者の親睦を深めながら野鳥にとって棲(す)みよい環境を守り育てることを目的に結成された。当時から今にいたるまで、行徳鳥獣保護区や江戸川放水路で観察会を毎月行い、保護区の近況や行事案内を掲載した会報「すずがも通信」を年6回発行することは、友の会の基本的な活動だ。
 行徳鳥獣保護区は、かつて日本有数の水鳥の飛来地だった行徳一帯が昭和40年代に埋め立てられたとき、はげしい議論の末、水鳥のために人工的につくられた場所だった。しかし、埋め立て前の豊かな湿地帯−−広大な干潟や蓮田の景観はそこにはなかった。そのうえ、保護区周辺の宅地化も進行していった当時、水鳥の棲む環境をいかに守り育てていくか、何よりも保護区をいかに改善し、価値を高めていくかは、大きな課題だった。事実、保護区の陸地部分が乾燥化、草原化するにつれ、水鳥はじりじりと減っていったのだった。これはまずい。とってもまずい。でも、どうすればいいだろう。
 さらに、もうひとつ、頭の痛いことがおこっていた。
 観察舎の前を流れる「丸浜川」は、かつては海と舟だまりをつなぐ澪(みお)だったのだが、当時はすでに水門で海から閉め切られ、家庭排水のたまり場となり、汚れきっていた。水の色が墨汁のようになる、臭くて人が近寄れない、生き物もほとんどみられない、近所から苦情も出る。とうとう「埋めてしまえ」という声さえ聞こえてきた。さぁー、困った。丸浜川、大ピンチである。と、そこに現れたのは、ウルトラマンでも仮面ライダーでもなく、1台の「ウナギ養殖用水車」であった。1986年のことである。
 
 
●水車を回す
 
 水車をバシャバシャ回す。酸素が水中に供給される。水中の「汚れ」を栄養源にさまざまな生き物が暮らせるようになる。食物連鎖が復活する。汚れは、最終的には魚や虫にとりこまれ、それを水鳥が食べる。この水車を使った水質浄化について指導してくださったのは、沖縄大学の宇井純先生であった。先生との出会いがなければ、今日の友の会も保護区もなかっただろう。
 丸浜川は、やがて、「とても素敵なドブ川」に変身した。復活した生物たちをねらって、カモやシギといった水辺の鳥たちもやってくるようになったのである。この一連の実験は、当時、予備研究チームとして助成を受けていたトヨタ財団の研究コンクールで高い評価を受け、より大きな額の助成金をいただくことができた。この助成金で豪遊しようなどという不謹慎なことを考えもしなかったのはいうまでもない。
 どうしてもやりたいことがあったのである。
 
 
●池をつくる
 
 乾燥が進み、水鳥が減っていく保護区の陸地に、かつての行徳の蓮田を彷彿(ほうふつ)させるような池を2面掘り、よみがえった丸浜川の家庭排水をポンプアップしたのは、翌1987年のことであった。保護区開設以来のテーマである保護区の改善への大きな一歩が、ここに踏み出されたのだ。
 自然環境を保全するため一般の利用が厳しく制限されている場所に、一民間団体にすぎない友の会が池を掘る。つまり、手を加えることは、許認可を出す行政側にとっても、友の会にとっても一大事であった。しかし、お互いの立場を理解し、試行錯誤しながら協力していくうち、「池を造るための手続き」も次第に形がみえてきて、ついに実現にこぎつけたのだった。
 この池にも、多くの水鳥が飛来するようになったが、話題をさらったのは何といってもセイタカシギの集団繁殖だった。かれらは、ただ生活するのみならず、豊富なエサや安全な環境がことさらに必要な「子育て」までもこの池でやってくれたのだ。
 だが、ふっふっふ、どんなもんだい、と鼻を高くする間もなく、敵?の登場である。
 このような浅い池を放置すると、あっという間にヨシ等の湿地の植物が進出する。ヨシも水辺の生態系の一員として重要だが、カモやサギ、シギといった水辺の鳥は、ある程度開けた水面や泥地が広がっていないと暮らせない。そこで、池の草刈りが友の会の年中行事になった。とはいえ、なんとものんびりしたアットホームな行事で、決して無理はしないことにしている。ケガをしては大変だし、何より、広い空や草のにおい、水鳥の声などを楽しむことも大事にしたいからだ。すっかり草刈りにはまって、行事以外の日にも自主的に草刈りに汗を流す人もいる。
 
 
●みなと新地から再整備事業へ
 
 1993年から94年にかけて、家庭排水を使った池がもう一つ保護区内に登場した。「みなと新池」と名づけたこの池は、酸素や日光のよくあたる10枚の棚田で水を浄化したうえでやや深い池本体に流し入れるというユニークなものだ。1987年以来の新池とあって、友の会のメンバーが大喜びしたことはもちろんだが、それだけではない。この池は造成費用を千葉県が出し、地元の市川南ロータリークラブが水車やポンプ、電気工事の経費を助成してくださるなど、新たな協力体制のもとで造られたという点でも画期的な池だった。
 そして、その2年後。これまでの成果を踏まえて、保護区は夢のような大変身をとげることになる。
 なんと、陸地部分のほぼ全域に家庭排水を使って大規模な湿地を造成することなどを内容とする行徳鳥獣保護区の再整備事業が、千葉県によって行われることになったのである。1994年3月以降、学識経験者、千葉県、市川市、友の会による「行徳内陸性湿地再整備検討委員会」がたびたび開かれ、再整備事業内容などが話し合われた。それを踏まえて、1995年12月には大きな池が2面、翌冬には、大規模な棚田状の新浄化池などが造成され、保護区の風景は一変した。また、海域部への砂入れによる底質改善や、岬状の裸地づくりなどもあわせて行われた。
 
 
●「よみがえれ新浜」
 
 この言葉を何度きいたことだろう。かつて、水鳥の楽園だった行徳一帯は「新浜」とよばれていた。保護区の設立以来、蓮田が広がり、水鳥があふれる風景の再現を夢見た友の会のメンバーのあいだで、いつの間にかスローガンのようになったこの言葉は、今、単なる夢ではなくなったのである。新浄化池の棚田が夕焼けを美しく映すとき、雨上がりの池から無数のシラサギがとびたつとき、「夢」の実現にかかわることができる幸せを感ぜずにはいられない。夢はまだまだある。かつて行徳の闇に舞ったホタルも、カエルの合唱も、タマシギの呼び声も、とりもどしたいものはたくさんある。
 
 
●いろいろな人、いろいろな価値観
 
 けれども、今、友の会の活力源になっている若い世代には、かつての「新浜」など見たこともない人が多い。保護区の陸城が乾燥した草原だった時代に入会し、その風景に親しんできた人もいる。「よみがえれ新浜」は友の会の活動目標であるし、それゆえにきちんとした具体像を示すことが求められることも否めない。が、あまり厳密にしばりすぎず、大きなイメージは示したうえで、いろんな人のいろんな夢や楽しみを許容できる「よみがえれ新浜」でないと、新しい人が入りにくい、マニアックな会になってしまう。
 そんなわけで、友の会の基本姿勢は、ひたすらただひとつの夢を追って、みんなで血眼になっている集団というよりは、野鳥観察舎や保護区が好きで、友の会をなんとなくいごごちよく感じているそれぞれが、自分のやりたいこと、やる必要のあることをやる、といったものである。その中で、「よみがえれ新浜」にも、その人なりのアプローチで興味を持てればいいね、と。
 
 
●定例会議
 
 毎月、第2日曜日の夕方、定例新浜観察会の終了後、観察舎図書室で友の会の定例会議をやっている。会議とはいえ、お菓子をつまみながらの気楽な雰囲気だ。定例の観察会や草刈りのほかにも、市民まつりに参加したり、バザーをやったり、はては夜桜やお月見まで楽しんだりと、最近は行事もバラエティに富んでいる。こうしたことも、この会議でだれかがポロッと冗談混じりに口にしたことがきっかけになったりする。
 行事だけではない。再整備工事が実施されて、池などの湿地が大幅に増えた結果、その本格的な維持管理は友の会や有志による手作業の草刈りだけでは到底こなせない。近年は、観察舎の職員として永年保護区の管理に携わってきた蓮尾夫妻(友の会のメンバーでもある)が、若い観察舎スタッフたちとともに、観察舎や保護区管理の仕事の一環として、池の草刈りのみならず、トラクターによる耕転や水位調節等を計画的に行っている。定例会には、こうした職員の立場の人たちも参加し、管理作業の近況や計画を友の会メンバーに伝えたり、参加者から意見を聞いたりしている。保護区や友の会の将来のことや、三番瀬や江戸川放水路など保護区をとりまく環境についても話題にのぼり、時には話が少し重くなってしまうこともある。
 で、こういうときこそ、パア〜ッと気分転換をはからねばならない。
 
 
●いとしの中華料理
 
 美味い。最高だ。定例会議終了後に友の会がなだれ込む中華料理屋さんは、すばらしい味と好意的な値段、マスターや店員もいい感じで、わが友の会会長が中華料理好きであるという自然保護となんの関係もなさそうな事実に、このときばかりは深く感謝せずにはいられない。そして、みんなで円卓を囲みながら、料理をつつき、笑い合う。お酒は飲めても飲めなくてもいい。思うに、友の会の現在の若手メンバーの定着に、この中華料理屋でのひとときが果たした役割は果てしなく大きいのではないだろうか。
 個性派ぞろいで、時にはチャランポランなこともあるけれど、それゆえにお互いを認め、思いやり、許し合うこともできる。自分の居場所がある。それは、「よみがえれ新浜」を夢見、おしすすめる友の会のような団体にとって、とても大切で、素敵なことだと思う。
 
 さーてと。原稿も書き上げたし、みんなと一緒に中華料理でも食べにいこうっと。ああ、あなたも一緒に行きませんか。行きましょうよ。

(1998年9月 清水大悟)

 

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