上関原発工事阻止院内集会に300人

〜中国電力東京支社前で抗議行動も〜



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 「中国電力による上関(かみのせき)原発の工事強行を止めさせるために」と題した緊急院内集会が(2011年)3月4日、衆議院第1議員会館の大会議室で開かれました。
 主催者の予想をはるかに超えるたくさんの人が参加し、300人収容の大会議室は満杯となりました。国会議員も22人が参加しました。


■祝島島民が原発に反対する理由

 上関原発は、山口県上関町長島の田ノ浦に計画されています。未買収地が多いため、海を埋め立てて建設することになりました。
 ここの海は「瀬戸内海最後の楽園」とか「生物多様性のホットスポット」とよばれています。ホットスポットというのは、絶滅の恐れがある種が集中して住む場所のことです。それほど豊かな海ということです。

 原発は大量の海水を冷却水として使います。取りこまれた海水は、急激に熱せられ、海に放出されるとき水温は7°Cほど上昇するとのことです。また、海水を取りこむ際に、フジツボなどが取水口やパイプに付かないよう、化学薬品が使用されます。これらによって、たくさんのプランクトンや魚介類の卵、稚魚が死滅します。
 温排水に混じって放射能も流されます。長い間には、生態系への放射能の蓄積や影響が心配されます。また、事故による放射能災害も心配されます。
 さらに、埋め立てによって海の生態系も大きな影響を受けます。

 ですから、原発予定地の対岸に位置する「祝島(いわいしま)」の人たちは反対を続けているのです。祝島の漁師たちは漁業補償金の受け取りを拒否しています。


■理不尽な工事強行を非暴力行動で阻止

 ところが、中国電力は先月21日に海に土砂をいれる工事を強行しました。原発建設の許可がまだでていないのに、です。
 これに対し、島民と支援者たちが抗議と工事阻止の行動を起こしました。そうしたら、海上保安庁が阻止行動をやめさせるために出動です。中国電力は多数の作業員と警備員を投入するばかりか、海上保安庁の手を借りて工事を強行したのです。
 島民や支援者たちは非暴力の阻止行動を続け、2人の島民が負傷する事態になりました。中国電力の警備員たちは、カメラが向いていないところでは、島民や支援者を殴ったり蹴ったりしたそうです。
 こうした島民のねばり強い非暴力直接行動の結果、現在は工事が中断しています。


■現地からのリアルタイム映像も

 集会では、現地におけるはげしい攻防の動画が映し出されました。また、「上関原発を建てさせない祝島島民の会」(略称:祝島島民の会)の山戸孝さんなど、祝島の島民からリアルタイムの映像でメッセージが寄せられました。
 このほか、5人から現地の状況や上関原発計画の問題点などが報告されました。
 最後に、8人の国会議員が、上関原発をやめさせるためにともにがんばろう、という連帯の発言をしました。


■中国電力東京支社前で抗議行動と宣伝

 集会のあとは、JR東京駅のすぐ近くにある中国電力東京支社前に移動し、抗議行動と宣伝をおこないました。この抗議行動には130人が参加しました。


 なお、院内集会では、「上関原発計画に反対しつづける祝島」と題した「祝島島民の会」のメッセージが配布されました。そこに集会の趣旨や内容がコンパクトに網羅(もうら)されています。


祝島島民からのメッセージ




上関原発計画に反対しつづける祝島


祝島島民の会


●上関原発計画とは

 中国電力によって、山口県熊毛郡上関町四代・田ノ浦地区に137.3万KWの改良型沸騰水型(ABWR)2基の原子力発電所を新規立地する計画で、1982年当時の上関町長の議会での発言で表面化した。

 中国電力は当初より反対意見を全く無視して事業を進めようとしたが、祝島を中心として体を張った根強い反対運動で計画は遅々として進まず、28年も経過した昨年10月になり、ようやく中国電力は予定地の埋め立て準備工事の着工を宣言し、原子炉設置許可申請を国に提出した。しかし、以降も埋め立て準備工事(時に海域)はストップしており、設置許可申請も国から「最低最悪の内容」として活断層等の追加調査を指示されている。

 一方、原発計画に反対する取り組みは、従来の予定地内の土地の共有化及び祝鳥漁民の漁業補償金(10.8億円)受け取り拒否に加え、昨年来の上関原発反対全国署名は90万に達そうとしており、祝島を主題としだ映画2本も現在全国各地で上映運動が進んでおり、国会議員の現地視察も相次いでいる。

 また、予定地周辺の豊かな生態系は、自然保護団体の地道な取り組みの中から、様々な希少生物の確認により専門家の注目を浴びて、『生物多様性』保存の取り組みが大きく拡がってきた。


●祝島とはどんな島?

 瀬戸内海に浮かぶハート形をした周囲12キロ、人口約500人の風光明媚(めいび)な小さな離島で、古来より海上交通の目印として知られ、万葉集にも謡われている。
 原発予定地は、祝島の集落の真正面、海を隔てて約4キロの地点にある。原発計画浮上以来、島内の住民は賛否に分断(賛成1:反対9)され、その比率は基本的に変わっていない。日常的な反対運動を続けつつ、最近では島の自立と活性化を目指した取り組みも加速している。
 従来より「原発の金に頼らない島おこし」をめざし、農水産物の加工や都市住民との交流を続けてきたが、現在では島民の救急時の搬送体制の確立や、高齢者福祉・介護への取り組み、島の歴史文化遺産の見直し・発掘にも取り組んでいる。
 その結果、千数百年続く海を渡る祭り『神舞』・集落の石積みの璧『練壁(ねりかべ)』・『平さんの棚田』など、島独特の文化への注目や、昨年来共同行動を続けているシーカヤッカーを始めとした若者たちなどの来島者も相次ぎ、「にぎわい」もはじまりつつある。


●島民の生活

 離島ゆえ、島民の生活は基本的に農漁業で支えられてきた。
 漁業は、船主船長の小規模経営で一本釣りを中心に、建網・タコつぼ等の地先漁業で、遊漁船業も盛んである。特に一本釣りは祝島周辺のほか、原発予定地周辺海域を重要な漁場として、過去から現在に至るまで利用している。これらの海域は周辺8漁協の共有となっているが、祝島漁協(当時。現在は山口県漁協祝島支店)のみが一貫して原発計画に反対しており、祝島の反対を押し切って「契約」した漁業補償金契約(総額125.5億円)により勝手に「配分」された10.8億円の受け取りを拒否し続けている。
 農業は本来、島の主力であったが、全般的には一部の新しい取り組みを除き、高齢化の影響もあり停滞している。もともと温暖な気候からミカン栽培が盛んだったが、価格暴落で経営が成り立たなくなり、現在は風土が適しており無農薬の露地栽培で味も良いビワが主力となっている。このビワは、葉も『びわ茶』として加工され、島おこしの中心的物産となっている。近年は、(島では)「若手」による『はやぼり甘藷(かんしょ)』栽培やUターン者による放牧豚の取り組みが脚光を浴びてきている。


●原発問題への対応・経過

(1)原発計画表面化当初

 計画か表面化する以前より、島の「有力者」といわれる層のほとんどが一部の親族をも巻き込んで、中国電力によって「推進派予備軍」として取り込まれていた。そのため、計画浮上後、約1割にあたる島民が、他の大方の島民と行動を別にした。そのため島内での住民同士の対立ははげしいものとなり、現在もその影響は残っている。

(2)なぜ祝島島民は立ち上がったのか

 当初何も知らされていなかった一般の島民は、反対組織『愛郷一心会』(現在は『上関原発を建てさせない祝島島民の会』へ改組)を島民の9割で組織し起ちあがったが、それは以下の理由からなっている。
    イ、住環境の根本的変化
       予定地が、集落の正面で朝日の昇る方角約4キロの地点であり、自然そのものの景観の中で暮らしていた生活がまったく様変わりするため
    ロ、放射能への拒否感
       島民の中に出稼ぎで原発の下請け労働を経験した人たちや、広島の原爆被爆者やその家族もおり、原発=放射能への嫌悪感を持つ人たちが多数いた
    ハ、主力産業への危機感
       漁業者にとって予定地周辺の海が重要な漁場であり、また遊漁船のお客は広島方面からが主力で、原発という核施設への嫌悪感が強く伝えられた。また、農業も「風評被害」を強く懸念し、多くの島民が島での生活基盤の破壊に危機感を持った
    ニ、日常的不安の強制
       離島住民として、いざという場合の避難方法が全くないという不安に対して、電力・行政等がまったく答えようとしなかった
    ホ、人としての生き方、心の腐敗
       計画の段階から現在にいたるまで、中国電力の「金で人を買い上げる」やり方、推進派の「金に心を奪われる」腐敗した姿を見せつけられ、原発が自然を破壊する建設工事以前から、人の心・地域生活を破壊するものであることを心底実感させられた

(3)現在の日常生活

 最近、漁業補償金を目当てに一部の漁業者が新たに推進派として出てきたが、個人の利益追求のみのためまとまりに欠けており、ほとんどは従来の姿勢を保っている。
 離島のため、地理的にも他の地域と比較して「守りやすく攻めにくい」条件下、反対運動は団結を守り情報の共有化を最優先している。
 組織約には、上関原発に反対するという一点でまとまった自立した組織として運営しており、『島民の会』として運営委員会という形の集団合議制をとり、町内会の単位を基礎とした連絡員の配置という日常的な連絡網が確立されている。
 また運動的には、特段の事情がない限り毎週月曜日に島内デモを行い、団結を固め情報の共有化をはかっているが、その回数は現在1070回を超えている。同時に島外の講師による講演会や状況の変化に応じて全員集会を随時開催している。
 そして、当初よりの「命と生活を守る」という基本を踏まえ、各種行動については自発的参加を原則とし、一方的に計画を押し付けてくる中国電力とは徹底的な交渉(接触?)拒否の姿勢を堅持するとともに、粘り強く非暴力直接行動を続けている。
 対外的には、長年の闘いの中で信頼関係を構築してきた県内の諸団体(原水禁山口、市民グループ)と『4団体協議会』という形で、日常的に連絡協議し行動を共にしている。


●最後に

 反対運動は、島民一人一人が主人公であり、私利を求めず、個人的な「英雄」は必要ないという共通の思いが、30年近くにわたる闘いの歴史の中で、分裂もなく続けて来られている要因と思われる。







300人収容の大会議室が満杯に



集会のあと、中国電力東京支社前で抗議行動と宣伝をおこなった



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