★大規模開発の実態をみる


千葉ニュータウン開発の実態

開発問題研究会



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 県が進めている大規模開発は軒並み破たん状態にある。今回は、朝日新聞が「壮大なムダの象徴」(1984年11月20日)と書いた千葉ニュータウン開発をとりあげる。
 この開発は、県が「34万都市」や「首都圏最大のベッドタウン」をキャッチフレーズにして30年前の1969(昭和44)年に着手した。1976(昭和51)年度中に完成の予定だった。当初計画の面積は、船橋市、印西(現在の印西市)、白井町、印旛、本埜村の1市2町2村にまたがる2902ヘクタール、戸数は9万5400戸、人口は34万人であった。その後2回にわたって事業計画が見直された。現在の計画人口は19万人である。期間も2003年(平成15年)度に延長された。しかし現在、入居者はいまだ7万6000人と、計画は遅々として進まず、巨額の赤字が累積している。







1.壮大なムダと浪費


 県民の立場からみれば、千葉ニュータウン事業はたいへんなムダと浪費をうみだしている。
 まず、買収済みの土地のかなりの部分が遊休地となっている。買収地1771ヘクタールのうち、工事が完了したのはわずか794ヘクタールだ。残りの約1000ヘクタールは未利用地となっている(1995年3月末現在)。これは計画区域の半分に相当する広さである。現地をみると、たとえば印旛地区(印旛村)では、粗造成をしたままの広大な土地(約100ヘクタール)の中に中学校と消防署(後に、消防署は資料館に替わった)がポツンと建っているだけという状態が25年もつづいた。
 無人の集合住宅も数多く存在する。上水道や下水道などの関連施設の過大化もみのがせない。これらは34万人の計画人口にあわせてつくられているからである。本埜村には、県水道局の北総浄水場が建設された。これは、計画給水人口を40万人(千葉ニュータウン34万人、成田ニュータウン6万人)としたものである。だが実際の給水人口は約12万人(千葉7万6000、成田約4万5000人)だから、まったくの過剰施設となっている。下水道も34万人にあわせたものが先行投資されている。


2.事業失敗の原因


 千葉ニュータウン事業はなぜこんな状態になっているのか。その最大の原因は、地権者や地元市町村になんの協議もなしに、県が突然、トップダウン方式で計画を発表し、事業を始めたことである。
 この計画のそもそもの目的は成田空港対策だった。つまり、友納武人知事(当時)自身が述べているように、「成田空港と東京都心を最短距離で結ぶ鉄道および道路用地の確保」であり、「東西に細長い大ニュータウンを建設し、その真ん中に空港への鉄道、道路用地」を含ませることであった(友納武人『続・疾風怒涛』千葉日報社)。
 この計画は、地権者(農民)はもちろんのこと、地元市町村に対しても発表まで秘密にされた。板倉直保・元印西町長は、当時を振り返ってこう証言する。
    「計画発表前、友納知事に呼ばれて出かけてみると、突然、計画予定図を見せられた。その時はもう町の意向を入り込ませるスキはなかった」(『朝日新聞』1987年1月8日)
 要するに、地権者や地元市町村にはなんの協議もなしに、「県勢の健全な発展」とか「無秩序な市街化の防止」などという御題目のもとに、いわばトップ・ダウン方式でいきなり計画が打ち出されのである。そして、翌年の67年2月に用地買収がはじまった。
 印旛地区では、村が積極的に手伝ったこともあって、用地買収は1970年までにほぼ完了した。しかし、他の地区では用地買収が難航した。農業で生活している住民に対し、一方的に「土地を売って転業しなさい」というのだから、当然のことながら農民は反対した。しかもニュータウン計画図をみればはっきりわかるように、ゴルフ場(習志野カントリークラブ)は不自然なかたちで計画区域から除外された。除外は、政界有力者の口利きによるものだった。
 農民の意向をまったく無視して農地を一方的に区域にとりこみ、しかもゴルフ場は区域から除外する。こうしたやり方がすんなり通るわけがない。用地買収は、着手から2年で早くもゆきづまった。農民の強い反対にあったのだ。土地売却を拒みつづけた白井町谷田地区のある農民は言う。
    「県は金をやればわれわれがすぐ土地を手放すと甘くみたのではないか。しかし代替地もないのに簡単に手放すわけにはいかない。その辺の県の見込み違いが大きかった」(『朝日新聞』、1987年1月7日)
 別の農民はこう語る。
    「農地というのは、たいてい住居の近くにあるものです。だから、このニュータウン事業に、全面的に協力するということは、農地を手離すことはもちろん、長く住み慣れた家も手離し、どこか別のところに引っ越すことなんです。先祖伝来の農地も家も全部手離せますか」(『週刊千葉』1984年8月30日号)
 小田隆造氏は、『絵に描いた街−追跡・千葉ニュータウン』(日経事業出版社)の中でこう書いている。
    「ニュータウン事業の開始される前年の昭和41年、ニュータウン計画図を提示された農民たちは驚いた。『一体、オレたちにどうして生活して行けと言うのか』。しかも、生活の基盤である農地を奪おうとしていながら、地形から見て当然、ニュータウンの住宅用地に組み入れていいように見える習志野カントリークラブ(印西町)は外されている。当時の農民たちに『金持ちの遊び場が温存されるのに、どうしてオレたちの農地はなくなってしまうのか』という感情が大きく働き、それが『ニュータウン用地買収反対』のバックボーンになったという」


3.計画と矛盾する「営農調整地」

 そこで、県が考えた便法が事業区域内での「営農調整地」の設定である。これは、県が地権者との間で「買収はしない」という覚書を交わし、農業を続けることを保証した土地だ。事実上の買収放棄地である。県は、そのこととひきかえに、その農民から所有地の一部を買収した。要するに、当面の買収実績を少しでも増やそうとする幹部があみだした苦肉の策だった。
 だが、この「営農調整地」の設定は、事業計画と矛盾するものであった。住宅や学校を配置する予定のところに、虫食い的に農地を残したのである。千葉ニュータウン事業は、すでにこの時点でメチャクチャなものになってしまった。
 ところがその後も、用地買収面積を増やすために「営農調整地」をつぎつぎと設定していった。1984年時点での「営農調整地」の面積は546ヘクタールだ。これはニュータウン当初計画面積の約2割になる。
 そもそも、この「営農調整地」の設定は新住宅市街地開発法に違反している。同法にもとづく新住宅市街地開発事業としてスタートした千葉ニュータウン開発は、全面買収方式でなければならなかったからだ。たとえば『週刊千葉』1984年7月合併号の「甘かった用地買収の見通し」はこう指摘する。
    「新住宅市街地開発法に基づいて都市計画決定された地域の中に、農業区域を設けることは異例のことである。わかりやすくいえば、新しい住宅街をつくるために新住法を適用しておきながら、買収が進まないことを理由に、同法を無視したということである」
 まさにそのとおりである。そこには、法律や計画などはまったく無視し、ただひたすら用地買収の“当面の実績”をあげればよい、という県のデタラメなやり方がはっきりしめされている。


虫食いだらけの千葉ニュータウン




中央、牧の原両駅圏で当初計画から除外された用地




4.県は見直しを意図的に遅らせた


 千葉ニュータウンが深刻な状態になったもう一つの原因は、県が計画の見直しを意図的に遅らせたことである。
 経過をみればすぐわかるように、千葉ニュータウン事業は、すでに事業着手から2、3年たった時点で失敗があきらかになっていた。このことは、同事業にかかわっていた県職員も意識していた。ある県職員は、「事業の見直しを進言したが、まったく受けつけてもらえなかった」と述懐している。関係町村も事業見直しを提言したが、県はこれを無視した。伊藤利明・印西町長(当時)は、1986年2月10日付けの『千葉日報』でこう語っている。
    「見直しについてですが、ここまでくる間に何回も見直しの機会があったと思うんです。1回目は45年(1970年−引用者)ごろに約550ヘクタールが営農調整という形で不買収になったわけですが、この時に1回目の見直しが必要だったのではないでしょうか。2回目は40年代後半のオイルショックにより社会情勢が変化しました。このことを踏まえて50年代の前半にやるべきではなかったかと思います。そのころに計画を見直してくれれば、風邪か盲腸ですんだものを、20年近くたったので胃かいようになってしまったというのが実情ではないでしょうか。ですから地元市町村としては大変な問題を抱えているわけです」
 まったくそのとおりである。だが、こうしたまともな提言に県幹部はまったく耳をかさなかった。だらだらと当初計画のまま事業をひきのばし、なかなか事業見直しにはもっていかなかったのである。
 しかも、用地買収着手の2年後(1969年)には、早くも「営農調整地」という名の買収放棄地を虫食い状態でつぎつぎと設定した。だが、こうした状況を長年にわたってかくし続けた。これは犯罪的行為でもある。
 こうして県は、学校や住宅団地を計画していたところに「営農調整地」を設定するなどのメチャクチャなことをしながら、買えるところだけを虫食い状に買収していった。
 そして1984年になってやっと事業の見直しを検討しはじめた。その理由については、1984年7月16日付けの『朝日新聞』(夕刊)がこう書いている。
    「引き金はこの4月、行政改革推進審議会委員や財界人が現地を視察、住む人もないアパート群を見て、『壮大なむだ』と指摘。今後、行革論議の中で悪例の見本に取り上げられそうな気配になってきた」
 つまり、そのままでは臨時行政改革推進審議会で「悪例の見本」としてとりあげられそうだと判断したため、やむなく見直しに踏みきったのである。事業の失敗があきらかになった1970年から、じつに14年が経過してから重い腰をあげたことになる。


5.見直し遅延の理由
   〜莫大な投資で関連企業は大儲け〜

 ではなぜ、長い間、県は見直しをしなかったのか。マスコミなどは、県がメンツにこだわったことをあげている。それもあるだろう。しかし、本質的な問題は大企業に儲け口をあたえることであった。
 千葉ニュータウン事業は“壮大なむだづかい”といわれている。しかしそれは県民からみた場合であって、資本(大企業)からみれば少しもムダではない。85年度までに投資された約3000億円の金は、どこかに捨てられたのではなく、その大半は工事を請け負ったゼネコンに流れていったのである。
 事業に見通しがあろうがなかろうが、あるいは建設された施設が利用されようがされまいが、そんなことはまったくおかまいなしに、県や公団は道路、公園、住宅、歩道橋などをどんどんつくっていった。また、入居の見通しがないことはわかっていても、中高層住宅をつぎつぎとつくった。その結果が、使われない立派な道路や歩道橋、空き住宅などの存在である。
 また、金融機関も大儲けである。だぶついた莫大な金を事業者(県など)に貸し、確実に手に入る利子でボロ儲けをしている。県と公団が1985年度までにつぎこんだ3000億円のうち、じつに3分の1の約1000億円は利子分である。工事を請け負うゼネコンと利子をうけとる金融資本が千葉ニュータウン事業でいかに大きな儲けを得ているかがわかるであろう。
 1986年11月、事業の見直しが正式に決まった。事業が約半分に縮小された。だが、それでも現状からみれば過大であることは前述のとおりである。たとえば1985年11月5日付けの『毎日新聞』は、「修正してもなお、同町(現在の印西市−引用者)は8年間に11万人余の人口増になり、年間1万数千人ずつ増える計算だが、額面通りに受け取る人はだれひとりいない」という印西町長(当時)の言葉を載せている。吉岡敏夫・印旛村長(当時)も、「県が言うニュータウン68年度(「昭和68年度」という意味で、1993年度−引用者)完成は地元ではだれも信用していない。企業庁の計画はほとんど空念仏だ」(『朝日新聞』1987年1月7日)と、はっきり言いきっている。入居人口が20万人近いという変更後の計画がいかに非現実的であるか。それは県幹部も十分承知していた。しかし莫大な投資を続けようとする県幹部にとっては、計画は過大でなくてはならなかったのである。
 要するに、千葉ニュータウンの入居者が増えても増えなくても、資本の論理で事業をすすめる県にとってはまったく問題でない。儲かるところは確実に儲かるからである。これが千葉ニュータウン問題の核心的部分である。



6.乱開発にふりまわされる地元自治体


 地元の市町村は、野放図な開発によって大きな負担を強いられている。
 たとえば印旛村では、村が事業に積極的に協力したこともあって、ニュータウン予定地約100ヘクタールの用地買収は1970年までに完了した。ところが長い間、草ぼうぼうのまま未利用地として放置された。同村は、ニュータウンができることをみこして、2つの中学校を統合し、予定地に印旛中学校を建設して1975年に開校した。だが、中学校の周辺には住む人がまったくおらず、「320人いる生徒のほぼ全員が遠くからの自転車通学」(『朝日新聞』1987年1月8日)というような状況が25年もつづいている。吉岡敏夫・印旛村長(当時)はきびしい口調でこう語った。
    「ニュータウン事業に、地元として協力すべきことはすべて協力してきた。鉄道はここ(印旛松虫)まできて、ニュータウン全域が同時入居という話だったのに、本村へはいつになっても鉄道は敷かれない。土地を提供して下さった方々に『いつになったら電車が走るんです?』と聞かれても返す言葉がありません。断腸の思いです」(『週刊千葉』1984年7月合併号)
    「県が初めて説明会にきたときにですね、入居は同時にします、鉄道は一緒に開通しますからということを役場でいって用地買収に入ったわけです。それをひたすら信じて土地所有者はいち早く100%の土地を提供したわけなんです。以来20年間たったわけです。その間、痴漢が出没したり、殺人事件があったり、開発は遅れたりで村は悲惨をきわめているわけです。村民としては不信感の塊になっているわけです。私もニュータウンの話になると人相が悪くなるくらいなんです」(『千葉日報』1986年2月20日)



7.不便と苦労を強いられる住民


●鉄道運賃は日本一の高さ
   〜千葉ニュータウン通勤者はリストラの対象?〜

 千葉ニュータウンの住民も不便を強いられている。その最大のものは鉄道運賃の高さである。
 ニュータウン内をはしる北総開発鉄道は、住民にとって重要な公共交通機関である。しかし、この鉄道運賃は日本一高い。千葉ニュータウン中央−印西牧の原間(4.7キロ)の1区間だけで300円もする。JR東日本は同じ距離で150円だから、同鉄道の運賃はJRの2倍である。千葉ニュータウン中央−日本橋間は1110円もかかる。
 

東京近郊の私鉄運賃




 上の表は、印西牧の原駅圏の住民たちで構成する「北総開発鉄道運賃値下げ運動の会」が調べたものだ。これをみても、北総開発鉄道の運賃がいかに高いかがわかるであろう。他社の2倍前後となっており、その高さは異常である。
 このため同会は、鉄道運賃の値下げの署名や要望提出などをつづけている。今年(1999年)5月の衆議院では、建設委員会でこの問題がとりあげられた。同委員会で佐藤鉄夫議員(公明党)はこう質問した。
    「千葉ニュータウンのこの1年間の人口は横ばいで、募集しても住宅が売れない。転出希望も高い。福原先生(大妻女子大の福原正弘教授のこと−引用者)の報告書を丹念に読むと、その原因は一つ鉄道問題に限られる。日本一高い電車賃、都心までの、のろのろ運転の電車、つまり遠いニュータウンというイメージ、この二つにニュータウンの魅力がないことの原因が尽きると思う。福原先生の本の中にも『交通費が高すぎる。東京の大学と柏の高校に通う2人の子供の交通費が月に5万円もかかっている』などの声が載っている」
    「先日、千葉ニュータウンのリストラされた人に聞いたら、リストラの理由は定期券が高いからということだった。これは明らかな差別だ。多摩の人も千葉の人も国のパンフレットを見て希望を持って入った。しかし、千葉ニュータウンに住んでいるというだけでリストラされる。こんなことがあっていいのか。こういうことが人口伸び悩みの最大の原因だと思う」
    「運賃が高いから利用者が伸びない。伸びないから高くなる。昨年9月も10%値上げした。今後も値上げがあるならもう千葉ニュータウンを捨てよう、そこまで思い詰めている人がたくさんいる」(『千葉ニュータウン新聞』1999年7月15日号より)
 佐藤議員が述べているように、ニュータウン住民は日本一高い鉄道運賃にたいへんな苦労を強いられている。
 インターネットホームページの「千葉ニュータウン談話室」には、鉄道運賃に関する不満がたくさん寄せられている。「友達が遊びに来る時は『お前の家に遊びに行くと家族で往復7000円以上かかる』とか『いいか、日本一高いってことは宇宙一なんだよ』などと苦情を言われてしまい、恥ずかしい思いをしてしまう」などである。






●街づくりに苦闘する住民
  〜ミサワホームズ桜台マンション建設問題をめぐって〜



ミサワホームズ桜台マンション建設予定地




 千葉ニュータウンの住民は、高い鉄道運賃や買い物、医療施設など、さまざまな不便を強いられている。しかし、それでも我慢して、魅力ある街にしていこうと、まちづくりなどにとりくんでいる。事業者の県企業庁や住都公団も、「ラーバン千葉21−人間文化圏をめざして」を開発のコンセプト(基本理念)とし、「身近に水や緑などの豊かさを享受できる空間づくり」「環境にやさしい都市づくり」などをうたい文句にして、住みやすい街づくりを進めるとしている。しかし実際には、企業庁や公団は、それらを反古(ほご)にする動きをみせている。

   (注)ラーバン(RURBAN)とは、RURAL(田園的)とURBAN(都市的)を合わせたもの。



 その端的な例は、ミサワホームズ桜台マンションの建設をめぐる問題である。1998年5月、白井町の千葉ニュータウン桜台の十余一公園の隣接地に、ミサワバン株式会社が地上5階、地下1階建てのマンション建設を計画していることが明らかになった。このため、同公園の周辺住民が「ミサワホームズ千葉桜台建設問題を考える会」を設立した。約3600人の署名を添えてマンションの計画中止または変更を求める要望書を、ミサワバンと、同社に土地を卸売りした住都公団、そして千葉県と白井町に提出した。
 その後、「考える会」は、交渉や、町議会・県議会への請願、意見交換会、要望書提出などをねばりづよく続けている。議会請願についていえば、ミサワバンや公団、県企業庁が住民と十分に話し合いをするように取りはからうことを求める請願書が、1998年10月に県議会、同年12月に白井町議会で、それぞれ満場一致で採択された。
 問題の原因は、千葉ニュータウン事業を進めている県企業庁と住都公団が、「ゆとり」「調和」「環境共生」などを千葉ニュータウンの基本理念としていながら、実際には、そういうことを無視して民間業者に土地の卸売りをはじめたことである。
「桜苑壱番街」入居後に配られたパンフレット(県企業庁と公団が作成)には、問題の土地にはテラスハウスのような建物が描かれていた。こうしたことから、「考える会」は、「住民が説明を受け、考えていた都市計画(テラスハウス)と違うし、公園ぎりぎりに大びょうぶのような住宅を建てるのは公共財産としての公園への配慮を著しく欠く。路上駐車の増加も心配される」などとして、マンション計画の中止や変更を強く求めている。住民からはこんな声が強く出されている。「都心からやや離れてはいるが、ニュータウンの街並みにひかれて引っ越してきた。住民の気持ちを裏切るようなことはしないでほしい」。
「考える会」の主張を一部紹介すると、次のとおりである。
    「千葉ニュータウン地区の開発は、“ラーバン千葉21”と称する開発コンセプトがあり、それは、『自然との共生』『ゆとりある空間』を謳ったものです。これまで公団や公社などが建設したマンションはもちろん、民間が建てたマンションにおいても、敷地をゆったり使い、近隣公園から建物までの距離も法律や地区計画で定めたものよりも多くとって緑地を設けています。ところがミサワバンが計画したマンションは、周りのマンションとはまったく異質で、敷地いっぱいを使い、公園遊歩道ギリギリのところに、高さ20メートルの壁を作ろうとしています。これでは、十余一公園の利用者に圧迫感を与え、公園の景観を著しく阻害します。また、公園広場でのボール遊び、夏場の花火、雪が積もった斜面を利用してのそり遊びなど、子供達の遊びが制限されてしまいます。さらに、公園緑道のすぐわき(1メ−トル)のところから20メートルほどの高さでマンションが建つため、緑道の歩行者は上からの落下物の危険にさらされます。
     もう一つ懸念されることとして、駐車場の問題があります。ミサワバンの計画では、55世帯に対して来客用も含め、56台分の機械式駐車場しかありません。すでに周辺マンションでは大型車問題や、2台目問題が起きており、駐車場不足が起きています。この事から路上駐車が起きることは目に見えています。計画マンションへの出入り口になる車道は、片側1車線で、S字に曲がっています。この道路は通学路でもあり、交通安全上大きな問題です。
     以上のような問題点を抱えたマンション計画では、公園の景観や、地域住民の生活環境を脅かし、新しい入居者と、地域住民との間の軋轢を生み、良好なコミュニティーが形成されるはずもありません。千葉ニュータウンの開発コンセプトを無視したマンションを計画したミサワバンと、この計画を認めたことで、自ら主体的に行ってきた千葉ニュータウン開発を、単なる乱開発におとしめた住宅都市整備公団、環境ISO14001を取得したにもかかわらず、街づくりに対しての取り組みが不十分な白井町に対し、地域住民が住民運動という形で、公園環境保全を目的とした建築計画見直しを求めているものです。この建設計画反対、見直しについては、すでに周辺住民5000名以上の署名が集まり、ミサワバン他関係機関に要請書とともに提出され、白熱した議論が展開されています」(「考える会」のホームページより)



         (注)ミサワホームズ桜台マンション建設問題のくわしい内容は、
          「考える会」のホームページ(千葉ニュータウンが危ない)を
          ご覧いただきたい。




 この件で県企業庁の中堅幹部に意見を聞いたところ、次のような答えがかえってきた。
    「千葉ニュータウンの売れ行きはたいへんきびしくなっている。こうした中では、民間業者への卸売りはやむをえないことである。卸売りする際に、『自然との共生』とか『ゆとりある空間』への配慮などを契約条件に入れたりすることはむずかしい。要するに“背に腹はかえられない”ということだ」
「考える会」のメンバーが県企業庁に出向き、「環境共生」などをうたっている「ラーバン千葉21」との矛盾を質したところ、企業庁はこう答えたという。「ラーバン千葉21? あんなの客寄せですよ」「今は騒いでるけど、建って2、3年もすれば目に馴染みますよ」と。企業庁のホームページや新聞などで「ラーバン千葉21」を盛んに宣伝しておきながら、こういうことを言うのである。「考える会」のメンバーは、あきれて何も言えなかったという。
 一方、県職員の中には千葉ニュータウンの行く末を心配している職員もいる。「ラーバン千葉21」の作成にかかわった職員は、「あのような場所にマンションをつくるべきではない」と言い、次のように語ってくれた。
    「千葉ニュータウンの人口を増やしたり、街を発展させるためには、魅力ある“目玉”や“売り物”となるものがどうしても必要である。その重要な要素の一つは、自然や緑が豊かといった、環境面になる。桜台マンションは、明らかにそのような環境を壊すものであり、千葉ニュータウンの発展を阻害する」
 別の県職員もこう言う。
    「東京都の江東区などは人口流出の防止(つまり人口増)にかなり力を入れている。公営住宅の建設や住居新築の際の補助などである。また、地価が下落していることもあり、住宅価格や家賃がひところと比べて、かなり安くなっている。東京都内でこうした動きが強まると、千葉ニュータウンの人口増はむずかしくなる。そこで必要となるのは、東京都内などにはないものを売り物としたり、充実させることである。そういうことからいえば、十余一公園のような立派な公園のすぐ隣に屏風のような高層マンションを建てるようなことはやってはいけないことだ」
 しかし残念なことに、いまの千葉県は、こうしたまともな意見や声はなかなか施策に反映されない。







 県企業庁と住都公団が発行した千葉ニュータウン25周年記念誌のタイトルは、「ラーバン千葉21−人間文化圏をめざして」。










8.県の無責任体質


 “あとはどうなろうと知ったことではない”式開発のもとで、入居者、地元市町村、地権者のいずれもがさまざまな負担や困難をしいられている。ところが事業主体の県はどうかというと、こちらはまったく状況がちがっている。
 千葉ニュータウン事業を担当しているのは県企業庁のニュータウン整備部である。ここの職員は異動がはげしい。一般職員は3年以内で他の部局へ異動する。幹部にいたっては1、2年ごとに替わる。だから、「1、2年だけなんとかきりぬければよい」ということになる。問題解決に積極的に動く幹部はほとんどいない。問題があっても次から次へと“事務引き継ぎ”がされる。1980年代の前半は、「いちばん最後の人はたいへんだ」とか「だれが最後にババアを引くか」ということが語られていた。
 県では、このような無責任な人事体制がとられている。そうした幹部は、退職後は確実に外郭団体や土建会社などに天下っていく。千葉ニュータウンの工事受注で大儲けしているゼネコンなどにも多数の幹部が天下っている。天下り先では、たいした仕事をしないのに年収数千万円の高給をもらい、我が世の春を謳歌している。
 一般職員についていうと、こうした事業の進め方や問題点について意見を言っても無視される。また近年は、職務職階制(出世に応じて賃金があがるというしくみ)や労務管理の強化によって“モノ言わぬ職員づくり”が強められ、意見を言えない雰囲気になっている、という。
 小田隆造氏(前出)はこう書いている。
    「それにしても過去の担当者たちの評判は悪い。地主たちが声をそろえて言うのは『企業庁の担当者は仕事に慣れたころには異動で変わってしまう。しかも人が変われば話すことが前任者と全然違うこともあるし、こちらが前任者と約束したことも、知らないの一言で逃げられてしまう』ことだ」(『絵に描いた街』、前出)
    「千葉県企業庁ニュータウン整備部長に1日付けで吉崎満前農林部次長が就任した。長谷川昌之前部長は企画部理事となり、北総開発鉄道に派遣された。ニュータウン整備部長は5年連続の交代である」(『千葉ニュータウン新聞』1999年4月15日号)
 地元市町村長は、事業の見直し作業がはじまった際、県当局に対してこう注文している。
    「事業を完了させるためには、企業庁長、企画部長、ニュータウン整備部長、現地の課長クラスの職員を、これまでのように2、3年で異動させるようなことはしないでほしい。そうでないと、その期間を“ソツなく”終わればよいと思いがちになります。なにがなんでもという気持で事業に取り組まないでしょう。この果てしなく続いてきた事業を完了させるために、役人にも全力を傾けてもらわなくてはなりません」(『週刊千葉』1984年8月30日号)。
 市町村長がこういう注文をしなければならないほど、県の姿勢は無責任なのである。




公共事業関連の企業と外郭団体に県幹部OB数百人が天下り
〜 県幹部OBの名簿より 〜







9.おわりに


 「壮大なムダの象徴」といわれている千葉ニュータウン問題の核心がどこにあるかをのべた。何度もくりかえすが、同事業はすでに着手後2、3年たった時点で失敗があきらかになっていた。その時点で事業の見直しをすれば、傷口はそんなに広がらなかった。しかし県は、すぐに見直しをしようとしなかった。しかも「営農調整地」設定などの事実を隠しつづけ、その後も数千億円もの金をつぎこんできた。
 その根底には、大企業の利益を優先させる県当局の基本姿勢がある。このことを追及せずには千葉ニュータウン問題の本質は解明できない。この問題は、県がすすめている大規模開発のすべてに共通しているといっても過言ではない。

(1999年5月)   








十余一公園隣接地にマンション建設計画


 住民の憩いの場となっている十余一公園の隣接地(写真の左側)にマンション建設計画がもちあがっている。
 住民は、千葉ニュータウンのコンセプトとなっている“ラーバン”に反するなどとして、計画の中止や変更を強く求めている。







住民は「法面を残せ」と要請


 ミサワホームズ桜台マンション建設予定地(写真左側)。
 住民は、法面(のりめん。斜面になっている部分のこと)には住宅を建てないことなどを求めている。







十余一公園


 十余一公園は立派な近隣公園であり、住民の憩いの場となっている。
 計画どおりにマンションが建てば、景観や憩いの場としての機能が著しく阻害されることはまちがいない。








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