千葉県自然保護連合の主な歩み
1970年頃から種々の団体で“房総スカイライン”建設反対運動はじまる。1971年 3月 「千葉の干潟を守る会」結成。習志野、幕張海岸の埋め立て反対運動を進める。7月 千葉市において第1回の自然保護街頭デモを行う。9月 「房総の自然を守る会」結成。審議会に対し房総スカイライン反対を陳情。第2回街頭デモ。* スカイラインはその後、縮小・ルート変更して建設。* 房総の自然を守る会は、最大時、団体25、個人約100名が加盟。1973年 「公害から銚子を守る市民の会」などと千葉県住民運動連絡会を結成。1979年12月 「房総の自然を守る会」から「千葉県自然保護連合」に改称する。1981年 フェニックス計画(ゴミ処理のための人工島)反対運動を進める。1983年 5月 第13回全国自然保護大会・千葉大会を主管(1979年以降、全国自然保護連合理事団体)1984年 7月 東京湾問題勉強会を開催。85年6月までに計6回開催。9月 「東京湾横断道路を考えるシンポジウム」の実行委員会に参加。11月に第1回、86年4月に第2回のシンポ開催。1985年 3月 県知事選に際し、候補者と県に対し「東京湾の環境保全」の公開質問書を送付。1986年 8月 東京湾横断道路環境影響評価準備書に対し意見書を提出。1988年 2月 東京湾横断道人工島山砂採取(富津市浅間山)申請の却下を県に要請。4月 「東京湾横断道路反対連絡会」結成に参加。11月 保護団体の長年の運動の成果として、谷津干潟が国設鳥獣保護区に指定される。その後、93年にラムサール条約の登録湿地として指定され、ほぼ永久に残ることになる。1989年 7月 「開発と保全を考える千葉フォーラム」を開催。以後、92年まで毎年1回、計5回開催。1990年 1月 廃棄物問題千葉県連絡会結成。3月 ゴルフ場問題千葉県連絡会結成。1993年 4月 代表の石川敏雄氏が93年度県野生猿対策協議会委員になる。7月 緊急・大福山自然観察会を実施するとともに、ゴルフ場計画中止を求める要望書を提出。* 大福山ゴルフ場計画は、その後、県が予定地を買収し、計画は撤回される。12月 第10回ゴルフ場問題全国交流集会(千葉)の開催に協力・参加。1994年 7月 三番瀬の保全を求める団体署名の集約と千葉県環境会議へ要望書提出。11月 シンポジウム「東京湾三番瀬の環境保全」を開催。三番瀬保全協議会を結成。1995年 4月 代表の石川氏が95年度県野生鹿対策協議会委員になる。1997年 4月 千葉県野鳥の会の富谷氏(当会推薦)が97年度県野生猿対策協議会委員になる。1998年 2月 小櫃川上流域の追原ダム建設計画の中止を県に要請。4月 干潟の日(14日)に、三番瀬埋め立て計画の中止を求める要望書を県に提出。追原ダムの建設が計画されている七里川渓谷の観察会を実施(約100人が参加)。6月 追原ダム、三番瀬、鳥獣保護の問題で県自然保護課と話し合い。7月 「三番瀬を守る署名ネットワーク」「市川緑の市民フォーラム」などと「宇井純と語ろう・市川三番瀬−公共事業を問い直す」を市川市内で開催。11月 「小櫃川源流域の自然を守り育む連絡会」を結成。12月 『房総の自然と環境 1999』(千葉県自然保護連合の年報創刊号)を発刊。 1999年 1月 「房総の自然と環境を考えるシンポジウム」を開催。 2月 「いま…干潟を守るシンポジウム」「椎名誠と三番瀬を語るつどい」「“三番瀬” 春を 呼ぶコンサート」「産廃処分場問題をかかえる自治体・住民交流シンポジウム」の開催 を後援。 「三番瀬保全についての要望および『千葉日報』1999年1月11日付け記事に関する反論」 を県に提出。 3月 市川市長の「猫実川河口埋め立て」発言で、市川市に慎重な対応を申し入れ 4月 江戸川左岸流域下水道計画の見直し要請と代案を県に提示
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